New Code NLP School

NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士とNLP共同開発者カルメン・ボスティック・サンクレア女史が監修するニューコードNLPスクールの公式ブログです。

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2012年01月

NLPとは何か?

ジョン・グリンダー博士の言葉

「私とバンドラーが行ったことは、天才が自然に行っていることをひたすら観察したということです。天才が自然に行っていること、たとえば、ラポールや第3ポジションなどをコード化し、公式化して、誰もが一生使えるハンドブックとして体系化したということです。それは、世界中で誰もが使える、より効果的に生きるためのハンドブックです。言語的なコミュニケーションツール、ステートを選択する方法、健康でいられる方法…。これらがNLPなのです。」


John_Grinder


















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPとは何か?

ジョン・グリンダー博士の言葉

「NLPはモデリングで始まりました。私とバンドラーは帰納法的に学びました。NLPは演繹的に学んでも意味がありません。」


John_Grinder


















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPとは何か?

ジョン・グリンダー博士の言葉

「NLPは選択肢をつくるアートです。」


John_Grinder


















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPであることの条件

森林












NLPでいうモデリング(Modeling)とは、ある特定の分野で天才とみなされている人々が、卓越したパフォーマンスを発揮する際に、「どのように」その卓越性を発揮しているのかを、分析的にではなく無意識的に、それを論理的かつ明示的な手順に分析し、他の人々がその手順を踏むことで、当初の卓越した個人のパフォーマンスを短時間で発揮できることを可能にさせるプロセスのことを意味しています。

NLP共同創始者ジョン・グリンダー氏は、NLPのモデリング局面をNLPの真髄と位置づけています。グリンダー氏は、(NLPモデリングの結果として生まれた)NLPの創始以来、ほぼ(公式を応用するだけの)NLP適用しか発展してきていないという警告を発しています。

ジョン・グリンダー氏の言葉:
「1970年代、私とバンドラーが行ったさまざまな帰納法的ワーク(例えば、卓越した心理療法家がセラピーを行っている場面のVTRを何度も繰り返して見ることによって、膨大な生のデータから、その卓越した心理療法家の言語や行動パターンの公式を見出すワーク)の結果、NLPという新しい体系を作り出しました。そして現在、NLPは、ビジネス、教育、司法、セラピー、プレゼンテーション、スポーツ、芸術など、さまざまな分野において幅広く浸透しています。そして今後も、ほぼすべての分野に深く行き渡っていくことでしょう。しかし私の見るところ、1970年代に私とバンドラーがNLPを創始したあとは、NLPの(さまざまな分野への)適用というものだけが存在してきているようで、私とバンドラーが行ったような、努力をして新しいものをクリエイトするNLP実践者が新たに出てこない限り、NLPは今後、徐々に衰退していき、やがて消滅してしまう可能性があると思っています。」

グリンダー氏によると、NLPであることの条件は、次の2つを満たしているものです。

1. 有効性があること
2. プロセスモデルであること

プロセスとは、それが「どのように」(How)作動しているのか、すなわち、その構造や形式を意味します。一方、コンテンツとは、体験している内容は「何か」(what)ということであり、その詳細や経緯のことを意味します。

グリンダー氏は、NLPモデリング、すなわち、無意識的モデリングの産物として帰納法的に生み出されるプロセスモデルと、分析的かつ演繹的に生み出されるコンテントモデルを明確に区別しており、コンテントモデルはNLPの一部になりえないという立場をとっています。

コーチング、カウンセリング、セラピーを行う人々が、クライアントの人間としての尊厳に対して倫理的に介入を行うためには、プロセスとコンテントの区別が非常に重要になります。プロセスモデルは、クライアントの状況に影響を与えることで、クライアントが自らの力で選択肢を導き出す支援をします。一方、コンテントモデルは、ファシリテータがクライアントに自分の考え方や価値観などを押し付けることで、その場では解決できたとしても、長期的にはクライアントの自由を奪う行為であるとグリンダー氏は主張しています。


John_Grinder


















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール



ニューコードNLPの目的

森林












ニューコードNLPは、次の3つの能力を養成することを主な目的としています。

1. プロセスとコンテントの差異を直感的に認識することができる。
2. 意識と無意識のコネクションができている。
3. 複数のステートを選択することができる。

そして、次の2つのスキルを養成することも重要な課題としています。

1. コミュニケーションにおける「前提」の使い方が洗練されている。
2. コミュニケーションにおける「暗示」の使い方が洗練されている。


青空
















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル(2)

John&Carmen08








 











この素晴らしい会合の一週間後、グレゴリーは再び私たちを彼の家に呼び、私たちのモデリング技術を彼が何十年間も持ち続けてきた夢に役立てるよう促しました。マーガレット・ミードと結婚した30年代、そしてバリで共同の人類学のフィールドワークを行う準備の間に、彼ら二人は意識の変性状態に関する基礎について勉強する必要性を認識していました。ダンスのような特定の芸術活動に含まれるパフォーマンス状態を達成するための、通常社会的に期待され受け入れられた方法として、バリ人が公式にトランス状態に入ることは既によく記録されていました。広範囲な調査の後、彼らは医学催眠術の実践者の中で最も熟練しているという評判のあった反逆的な精神科医のミルトンH・エリクソン博士を知りました。ミルトン・エリクソン博士について費やした彼らの時間は、グレゴリーに、無意識のコミュニケーションにおけるその男の天才性を確信させました。グレゴリーがMRIの調査を率いた何年も後に、彼はジェイ・ヘイリーとジョン・ウィークランドを含む彼の研究グループのメンバー数人を、エリクソン博士が暮らし、彼の理解しがたい技術を実践していたフェニックスに送りました。グレゴリーがこの会話の中で困惑した表情で顔をしかめながら言うには、

 

 彼ら全員が彼らのこの老人の経験に夢中になって戻ってきたんだ!

 

このときまでに、リチャードと私はいくつかの彼の出版物を読むことを通してエリクソンについていくらか精通していて、私たちがこの注目すべき人へのアクセスを求めることを既に決心していました。リチャードはすぐに、彼がフェニックスに向けて今すぐ出発する準備ができていると答えました。私の声がこのような言葉を発しているのを聞いたときの私の驚きを想像してみてください。

 

 ありがとう、グレゴリー。しかし私はまだエリクソンのモデリングをする準備ができていません。

 

私たちはグレゴリーに、私たちはそのモデルを行うだろうが、それはまだである、と断言しました。リチャードは私のためらいを理解していませんでした−私自身がそれを明確に話せなかったのに、どうして彼がそれをできたでしょうか。私は、行かないことを十分に知っていました・・・まだ。

 

私が自分自身を整理することに成功し、フェニックスに行くことについて矛盾がない状態を達成するまでに、3ヶ月以上が経過しました。リチャードは喜びました−私たちはグレゴリーに電話をし、彼も同じくそのニュースに本当に喜びました。彼は自信満々に、私たちに先に行って飛行機に乗るように言いました−その間に、彼はエリクソン博士に電話をして手配をしたのでしょう。彼は私たちに、フェニックスに着いたらなるべく早く電話をするようにと指示しました。私たちは翌日フェニックスに到着し、そこのチェーンホテルの一つのスイートにチェックインし、グレゴリーに電話をしました。がっかりしたことに、彼の説明によると、彼はエリクソンに話をし、エリクソンは私たちに会うことにとても興味を持っていたが、彼はちょうど彼にとってひどく骨の折れるイベントである臨床催眠学会の年次総会を終えたところで、今から数日間、彼の3人の親しい生徒と一緒にこもることになっているとのことでした。

 

私たちは電話を終え、お互いを見て、仕事に取りかかりました。私たちは聖書(「催眠術と治療の高度な技術」、編集者であるジェイ・ヘイリーとエリクソン博士によって書かれた豊富な記事の概要)の写しを取りだし、様々な記事の中に多くのトランス誘導を見つけました。私たちは、私たちの目的のために必要と思われるものをどのようにこのパターン化から抽出するかについて合意するまで、次の一時間ほどの間これらの誘導について互いに読みました。テンプレート(鋳型)があると思われるまで、私たちは数時間かけてこれらの誘導を分析し、その様々なパターンを分類しました。メタモデルの区別と、エリクソンの仕事がとても上手く行われているという事実は、形式からコンテンツを分類することをとても簡単にしました。私たちは、全てのコンテンツの場所でエリクソンが関与したクライアントにとって適切な反応を引き出すために利用した資源を削除して、エリクソン博士に提示したい二つのメッセージの変形を挿入しました。

 

 今すぐ時間を作って下さい!

 

 今すぐ私たちに会って下さい!

 

そして時には十分大胆に

 

 今すぐ時間を作って私たちに会って下さい!

 

私たちは、エリクソン自身の誘導の変換版の一部を、新しいメッセージを埋め込んで書き出しました。それから私たちはコインをはじきました。私が勝ちました−私はエリクソン博士と電話でこの誘導を行わなければなりませんでした。私は、リチャードが私の視界の外で、彼の口に手ぬぐいを詰めたまま、バスルームにある電話で聞くように主張しました。この仕事は私が持っている全ての集中が必要でした−私はグリンダーからのどのような気を散らすものも必要とせず、望んでもいませんでした−笑いの形でも、忍び笑いでさえも。

 

私はベイトソンがくれた番号に電話をかけました−リチャードはバスルームでもう一つの電話を取り上げました。ミルトンの妻であり、一人前のとても素晴らしい催眠術師であるベティ・エリクソンに、彼女の夫が本当に私と話したがっていたということを納得させた後、私は深く心が奪われるような声が私の耳に話すのを聞きました。

 

 はあああい、エリクソン博士です。

 

彼の息づかいがはっきりと聞こえ、私は言いました。

 

 エリクソン博士、ジョン・グリンダーです。グレゴリー・ベイトソンが私を送り出しました。

 

そして休むことなく、私は誘導を始めました。2分半の間(私たちは電話の前に時間を計っていました)、私の最大限のそして非常に限られた知識の限りにマスター自身のパターンを活用し、私は自分の挿入したメッセージを含む誘導を行いました。私は、彼の呼吸がゆっくりになったこと、そして私が提示した誘導を彼が静かに受け入れ続けたことに大いに励まされました。私は自分の声をゆっくりにしていき、最後に単に止めることで誘導を終えました。少なくとも30〜45秒の時間が経ち(私にとっては永遠でした)、それから彼は呼吸を速め、単に言いました。

 

 君たち、すぐにここに来なさい!

 

続く10ヶ月は奇妙で素晴らしい経験でいっぱいでした−私たちはフェニックスでエリクソンと一緒に3〜4日かけて、彼が患者とワークをした時に微細筋肉運動を使って彼を見て、聞いて、モデリングしました。それから私たちは、声が聞こえる範囲にやって来た人たち誰にでも私たちが執拗にマスターしようと試みているパターン化で拷問を加えるためにカリフォルニアに急いで戻りました。

 

毎日の時間は、公式の文脈とそれ自体を提示した文脈の両方において、実践訓練に費やされました−私たちのテーブルにシーザーサラダを用意しているウェイターは、突然彼の足が床にぴったりくっついて歩けなくなったことに気がつきました。

 

それからフェニックスへのフライトで私たち二人の間の中央席を占めた幸運な女性がいました。彼女はこの小旅行をくしゃみと咳をしながら始め、症状なく終えました。私たちがしたことは、砂漠の乾燥した空気とその治癒力について静かに話し合っただけです。

 

私たちは、催眠接触の誘導期を習得したと確信してからは、変更された状態の利用に集中したいので、時間を節約するために、クライアントの再誘導シグナルを用意しました。全ては催眠で、何も催眠ではなく、屋根はきしみ、床は震えました!

 

私たちは明白な分析を試みることを拒否するようかなり訓練されました−エリクソンに直接会う前でさえ、メタモデルを特徴付ける構文変数のいくつかが、この天才の言語的パターン化にいくつかの興味深い方法で関与していたことは私たちにとって明らかでした。しかし、私たちは、エリクソンがフェニックスで無私に私たちに示し、彼の記事で詳細に説明したものと同じ反応を私たちのクライアントから引き出すという私たちの行動能力を満足させるまで、どんな説明も拒否しました。私たちは、聖書(催眠術と治療の高度な技術)にある全ての催眠効果と私たちが直接観察したものとを再現することに着手しました−私たちは熱狂的な狂信者でした。

 

以前のように、リチャードは私より前に準備ができていました−3回彼は私たちがそれ−「ミルトンH・エリクソン医師の催眠技術のパターン」として知られるようになったものの第1巻−を書くことを提案しました−そして、3回にわたって私の返事は、まだだよ、兄弟、でした。

 

私が内的な一致を達成した後、バンドラーと私自身による本(「ミルトンH・エリクソン医師の催眠技術のパターン」第1巻)の最初の草稿の実際の執筆は、およそ36時間のマラソンで達成されました−その後の仕上げと洗練は8時間未満でした。(つづく)


Whispering In The Wind p.175-178
Part: The Eye of the Storm
Chapter 1: Contexts of Discovery

NLP's Third Model: The Milton Model
  

One week after this remarkable meeting, Gregory again called us to his home and urged us to put our modeling skills inservice of a dream he had carried for decades. In the '30's, married to Margaret Mead, and during the preparation for doing joint anthropological field work in Bali, the two of them had recognized the need to educate themselves onthe fundamentals of altered states of consciousness. It had already been well documented that the Balinese officially enter trance states as a normal socially expected and accepted way of achieving the performance states involvedin certain artistic activities such as dance. After making extensive enquiries, they learned of a renegade physician psychiatrist who had the reputation forbeing the most skillful of the practitioners of medical hypnosis, Dr. Milton H.Erickson. Their time spent with Dr. Milton Erickson had convinced Gregory ofthe man's genius in unconscious communication. Many years ater when Gregory was heading up the MRI investigations, he dispatched a umber of members of hisresearch group including Jay Haley and John Weakland to Phoenix where Dr. Erickson lived and practiced his arcane arts. As Gregory sald wryly during this conversation with a bemused look,

 They all returned entranced by theirexperiences of the old man!

By this time, Richard and I had some familiarity with Erickson's through reading some of his published work and had already determined that we would seek access to this remarkable man. Richard immediately responded that he was prepared to leave now for Phoenix. Imagine my surprise to hear my voice uttering the words,

Thanks, Gregory, but I'm notready to do the modeling of Erickson yet.


We assured Gregory that we would do the model but not yet. Richard did not understand my hesitation - how could he, when I, myself, couldnot articulate it. I knew enough not to go... yet.

More than three months passed before I succeeded in sorting myself out and achieved a state of congruity about going to Phoenix. Richard was delighted - we called Gregory who likewise expressed genuine pleasure at e news. He confidently told us to go ahead andget on a plane - he would meanwhile call Dr. Erickson and make the arrangements. He instructed us to call as soon as we got to Phoenix. We arrived the followingday in Phoenix, checked into a suite at one of the chain hotels there andcalled Gregory. To our dismay, he explained that he had spoken to Erickson and that while he was quite interested in meeting us, he had just finished the annual meeting of the Society for Clinical Hypnosis - a taxing event for himand that he was sequestered with his three closest students for the next few days. 

We finished the phone call, looked at one another and went to work. We took a copy of the bible (Advanced Techniques of Hypnosis and Therapy, a richcompendium of articles written by Dr. Erickson with Jay Haley acting as editor) and located a number of trance inductions inside various articles. We readthese inductions to one another for the next hour or so until we agreed on howto extract from the patterning what we believed we would need for our purposes. We spent several hours analyzing these inductions, sorting through its various patterns until we thought we had a template. The distinctions in the meta modeland the fact that Erickson's work is so well done made it quite easy to sortthe content from the form. In all the content spaces we removed material Erickson had used to elicit the res ponses appropriate for the client involvedand inserted variants of the two messages we wished to present to Dr. Erickson:

 Make time now!
 
 See us now!

And sometimes daringly enough even

 Make time to seeus now!

We wrote out portions of the transformed version of Erickson's own inductions with the new messages embedded. We then flipped a coin. I won - I was the one who got to do the induction on the phone with Dr Erickson. I insisted that Richard listen on the phone that was in the bathroom, out of my line ofsight with a washcloth stuffed in his mouth. Doing this task would require allthe focus I had - I neither needed nor

wanted any distractions from Bandler - not in the form oflaughter or even giggles.

I placed the call to the number that Bateson hadgiven us - Richard picked up the other phone in the bathroom. After convincing Betty Erickson, Milton's wife, and a very good hypnotist in her own right, that her husband really did want to talk to me, I heard a deep riveting voicespoke into my ear,

 Yeeees, this is Dr. Erickson.

I could clearly hear hisbreathing and I said,

 Dr. Erickson, this is John Grinder - Gregory Bateson sent me.

and without pausing, I began the induction. For two and a half minutes (wehad timed it before the call), I moved through the induction containing the messages we had inserted, using to the best of my then quite limited knowledgethe master's own patterns. I was greatly encouraged by the slowing of his breathing and his continued acceptance by his silence of the induction I was presenting. I finished the induction by slowing my voice and simply finallystopping. A good 30 to 45 seconds followed (an eternity for me), then there wasa quickening in his breathing and he simply said,

 "You boys come over hereimmediately!" 

The succeeding 10 months were filled with strange and wonderful experiences - we would spend 3 to 4 days with Erickson in Phoenix watching, listening and modeling him with micro muscle movement as he worked with his patients. Then we would rush back to California to torture anyone whocame within hearing distance with the patterning we were obsessively attemptingto master.

Hours daily were devoted to disciplined practice, both in official contexts and in any context that presented itself - the waiter fixing the Caesar salad at our table suddenly found his feet were glued to the floor and wasunable to walk away.

Then there was the woman who had the good fortune to occupy the center seat between the two of us on a flight to Phoenix. She began thetrip sneezing and coughing and finished without a symptom and all we did wasalk to one another past her quietly about the dry desert air and its healing qualities.

We arranged re-induction signals with our clients once we had convinced ourselves that we had mastered the induction phase of the hypnotic encounter to save time since we wanted now to focus on utilization of altered states. Everything was hypnosis, nothing was hypnosis, the roof creaked, the floor trembled!

We were quite disciplined in refusing to attempt any overt analysis - it had been clear to us even before meeting Erickson directly that some of the syntactic variables that informed the meta model were involved in some interesting way with the linguistic patterning ofthis genius. However, we rejected any explication until we were satisfied withour behavioral competency in eliciting the same responses from our own clients that Erickson had both unselfishly demonstrated to us in Phoenix and had socarefully detailed in his articles. We set out to reproduce every hypnoticeffect in the bible (Advanced Techniques of Hypnosis and Therapy) as well asthose we had observed first hand - we were flaming zealots.

As before, Richardwas ready before I-three times he proposed that we write it - the first volumeof what came to be known as Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M. D.  - and three times my response was, Not yet, bro'

Once I had achieved the internal congruency, the actual writing of the first draft of theb ook (volume I of Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson,M.D.) by Bandler and myself was accomplished in a single marathon of some 36hours - the subsequent clean up and polishing less than 8 hours.


書籍01

















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル(1)

John&Carmen07








 












NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル

1975年にバンドラー、グリンダー、ベイトソンは全員、個々の住居をカリフォルニア州ベンローモンドのアルバロード1000番地に持っていました。その年の後半に「魔術の構造 第1巻」として出版されたものの原稿版は、バンドラー、グリンダー、プセリックの3人の男性の周りに集まって彼らの研究を手助けしようとしていた興奮した人々のグループの間で回覧されていました。ベイトソンは数週間前にこの原稿のコピーを提供されていました。グリンダーとバンドラーは、彼らが達成しようと試みていたことを彼に認めてほしいと望んでいました。彼らの希望は、電話でベイトソンのところにやってくるよう招待され、知的な饗宴−何時間も続いたベイトソンとの並外れた刺激的な議論−をご馳走になった時に満たされました。

 

グレゴリー(訳注:グレゴリー・ベイトソン)は、ダイニングルームに長い木製のテーブル−神秘的なノルマン調で、ダークウッドの切りっぱなしで、頑丈な、価値のある一品−を置いていました。グレゴリーは、まるで裁判を行うかのように、この奇怪なものの一端に身を置き、二人の若い男性に自分のすぐ右隣(グリンダー)と左隣(バンドラー)に座るように指示しました。その後の会話は魅惑的でした。注目すべきことに(そしてグリンダーとバンドラーにとってその当時でもそう思われたように)、その原稿の中で詳しく研究されたベイトソンのパターン化の運用能力はあまりにも完璧だったので、実際にそれを議論するのにほとんど時間が費やされませんでした。

 

グレゴリーは独り言を言いました。その大部分はMRI(訳注:Mental Research Institute)で彼と彼の同僚が行った研究の思い出話であり、それから(彼が後に魔術の構造の序文で明確に述べたように)私たちが実際に発見しこの本の中でコード化したことをどのように彼と彼の仲間が見逃していたか−「どのように議論が言語学から上手く引き下げられたか、彼が病理学と文化的パターンから始めたことを試みることがどれほど混乱していることだったか」−についての妙に準謝罪的な解釈でした。彼は快く本の紹介文を書くことを申し出、そしてもはや関連性のない古くて反復的な夢から目覚めたかのように、好奇心と知性で輝く知的で容赦のない深い眼で私たちをそれぞれ順番にじっと見つめながら言いました。

 

 OK、貴方たちがしたことは非常に良いことですが、魔術の構造にあることは、少し前に起こったことだと確信しています。私の質問は、貴方たちがメタモデルをコード化してから何を発見したのか、ということです。

 

私たちは魅了されました−ここにいたのは、知的な巨人として容易に認識され、当時私たちが頭をいっぱいにしていた新しい一連のパターン化に飛躍するために私たちがどうしていたかを十分に理解した男でした。

 

 よくやった。そして・・・

 

リチャードと私は畏敬の念を抱きながら彼の質問を聞き、完全に同意しながらお互いを見て、明言をする前に経験における句読点の重要性を示すために崖に潜る人(クリフダイバー)のように一時停止し、そして努力なく私たちから流れ出す説明の大きな波を解放しました。

 

今や快活な様子で、グレゴリーは私たちを美しく編成しました−まるで追いかけられているように私たちがパターン化に突進している間、彼は私たち二人に耳を傾けました。時には私たちのうちの一人が、時には別の一人が、時には私たちの両方が同時に、彼の広大な知性を私たちの所見で満たすことを試みているかのように話しました。彼は私たちの間に座り、彼の目は水平線の上の特別な点に固定され、何ヶ月もの私たちの仕事の報告を徹底的に処理しました。

 

時々、彼は流れを凍らせ、興奮を冷まし、椅子にもたれかかり、前方の大きなテーブルや彼の左側に視線を落とし、この二人の狂人をより浅い水の中へと導く質問−彼の豊かな内なる王国をつなぐパターンを完成させる質問であり、彼の世界の知性に70年以上関与して集めた質問であり、彼が理解できないプロセスを続けることを欲した答え−を作りました。

 

私たちは二匹の犬のように、主人が行きたいと思われるところに案内しようとし、時々先を走り、時々彼をじりじりと追い上げ(nipping his heels)、常に彼の手がかりに注意を払い、常に彼の意図に忠実でした。

 

そして私たちは疲れ切って爽快な気分で、ついに私たちの長い登りの終わりに三人一緒に到着しました。今や私たちは、より思慮深く、もはや新しいものに追い立てられず、目下今という時に興味をもち、椅子に深く座っていました。

 

彼の豊かな声に新しいトーン−これまでに表現されたものより、さらに深い感情を示唆するもの−がありました。長い登りの間に鮮やかに光っていた彼の知性の鋭い刃は覆われました。間違いなく、何十ものケーススタディ、それぞれが独自の説得力のある比喩を伴ったライフストーリーの中で、長い間で初めて何かが彼を深く感動させました。彼は、彼の青春期からの特定の出来事、彼の愛する兄ジョンの喪失と続行していないスイスでの選択の喪失について−全てがまるで自身の物思いにふけっているかのようで、私たちの注意深くしかし受動的な存在の中で快適であるかのように−静かに語りました。彼はついに自分の要求を満たし、そして注意をもう一度私たちに向けました。

 

今や彼の助言は彼から私たちへと緩やかに移動しました。それは逆進する波でしたが、より洗練され、正確でした。彼はこのように多くのことを話しました−私はその二つだけ言及します。

 

彼は私たちが協力しながらどれくらいの時間一緒に働いてきたのか尋ねました。私たちは「約3年間」と答えました。彼は、このような生産的で革命的なコラボレーションは滅多に起こらず、しばしば短命であるので、毎瞬を大切に楽しむことを強く勧めました。リチャードと私は互いの目を引いて、不死性についての一定の知識と、他の人間達が尽力したパターンからの決定的に認められた例外のみからくる信頼を、そのきらめきで確認しました。

 

彼は、私たちが他の誰にこれらの投稿した「魔術の構造 第1巻」のパターンを提示したのか尋ねました。私たちは、「貴方以外には誰も」と答えました。彼は、どのような前向きなステップを講じるべきか確信がないと述べましたが、以下を指摘することによって彼のアドバイスを終えました。

 ・・・今日の午後にここで貴方たちが私に紹介したものより少なかったのに、彼らはジャンヌダルクを火あぶりにしたのだ。(つづく)


Whispering In The Wind p.173-175
Part: The Eye of the Storm
Chapter 1: Contexts of Discovery

NLP's Third Model: The Milton Model


1975, Bandler, Grinder and Bateson all had their individual residences at 1000 Alba Road, Ben Lomand,California. The manuseript version of what would be published later that year as The Structure of Magic, volume I had been circulating among an excited group of people who had collected around the three men, Bandler, Grinder and Pucelik and who were assisting them with their research. Bateson had been provided with a copy of this manuscript some weeks earlier - Grinder and Bandler hoped that he would recognize what they had attempted to accomplish. Their hopes were more than met when they were invited by phone to come over to Bateson's place where they were treated to an intellectual feast - a remarkable and stimulating discussion with Bateson that lasted hours.

Gregory had a long wooden table in his dining room - one worthy of a mythical Norseman, rough-hewn of dark wood and sturdy. Gregory pointedly positioned himself at one end of this monstrosity as if conducting court and indicated to the two younger men to seat themselves immediately at his right (Grinder) and left (Bandler). The conversation that ensued was enchanting. It is noteworthy (and it seemed so even at the time to Grinder and Bandler) that Bateson's command of the patterning worked up in themanuscript was so complete that little time was spent on actually discussingit.

Gregory offered a soliloquy, in large part reminiscences of the research he and his colleagues at MRI had conducted and then a strangely semi-apologetic rendering of (as he later clearly stated in his Introduction to The Structureof Magic) how he and his associates could have missed what we had, in fact, discovered and coded in the book - "how well the argument flowed from the linguistics, how confusing it had been to attempt what he had done starting with pathology and cultural patterns." He graciously offered to write an Introduction to the book and then, as if rousing himself from an old and repetitive dream no longer of relevance, he fixed each of us in turn with his deep intellectually unforgiving eyes glinting with curiosity and intelligence and said

 OK, boys, what you have done is very good, but I am certain that what's in The Structure of Magic happened some time ago - my question is whathave you found since coding the meta model.

We were enchanted - here was a man, easily recognizable as an intellectual glant, who understood well enough what we were about, to leap to the new ets of patterning that were obsessing us atthe time.

 

 Well done and...

Richard and I listened to his question in awe, looked at one another with perfect agreement, paused like cliff divers tomark the importance of that point of punctuation in experience before committing and then released a great wave of descriptions that flowed from uswithout effort.

Buoyant now, Gregory orchestrated us beautifully - he would sitlistening intently to the two of us as we rushed forward into the patterning as if pursued. Sometimes one of us spoke, sometimes the other, sometimes both of us simultaneously as if attempting to fill his vast intelligence with our observations. He sat there between us, his eyes fixed at that special pointabove the horizon, processing thoroughly the reports of months of our work.

From time to time, he would freeze the cascade, breaking the spell, leaning back in his chair, dropping his gaze to point on the great table forward and tohis left, shaping the question that would guide these two madmen into shallower water - the question that would complete the pattern that connects in his rich internal kingdom, assembled over 7 decades of participation with intelligencein the world about him, the answer he wanted to continue his incomprehensible process.

We were like two dogs, attempting to guide their master to where they believed he wanted to go, sometimes dashing on ahead, sometimes nipping at hisheels, always attentive to his cues, always loyal to his intention.

The three of us arrived together then finally at the end of our long climb, exhausted and exhilarated. We sat back now, more thoughtful, no longer driven into the new,and presently curious about the now.

There was a new tone in his rich voice - one suggesting deeper emotions than thus far expressed. The sharp edge of his intelligence that had flashed brilliantly throughout the long climb was sheathed. No doubt,among the dozens of case studies, the life stories, each with its own compelling set of metaphors, something had stirred deep within him for the first time in a long time. He quietly recounted certain events from his youth, the loss of his dear brother John and of choices in Switzerland not pursued - all as if musing to himself, comfortable in our attentive, but passive presence. He worked it out finally then to his own requirements; and turned his attentiononce again to us.

His counsel now rolled softly from him to us, areciprocal wave, but more refined and precise. He spoke of many things in thisway - I will mention but two:

He asked how long we had been working together, collaborating. We responded, "Three years about" - He urged us tosavor every moment as such productive and revolutionary collaborations were rare occurrences and often short lived. Richard and I caught each other's eye,confirming with a twinkle the confidence that only comes with certain knowledge of immortality and an irrevocably granted exception from the patterns other members of the species labored under.

He asked who else we had presentedthese post Magic I patterns to - we replied, "To no one other thanyou." He indicated he was unsure of what positive steps to take but hefinished his advice by pointing out that

 ....they burned Joan of Arc for lessthan you have presented me here this afternoon.


書籍01










 





NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPという名称について

NLP という名称は、Neuro-Linguistic Programming の略称で、日本では「神経言語プログラミング」と訳されています。Neuro-Linguistic Programming(神経言語プログラミング)という名称は、NLP の特徴を端的に表すものとなっています。

Neuro(神経の)
外の世界との接点は、五感の感覚受容体です。感覚のメッセージは、受容体から脳の皮質投射に変換され、感覚に基づいた外側の世界の表象(representation)が作成されます。

 ・視覚
 ・聴覚
 ・体感覚
 ・嗅覚
 ・味覚


Linguistic言語の)
私たちは、言語を通して感覚的経験をコード化し、個人的な意味を作り出します。私たちは、現在の感覚情報の流れを以前にコード化した表象(representations)と比較してマッピングすることにより、これを行います。次に、私たちは言語の記述をラベルにマッピングします。

 ・コード化された表象
 ・自然の言語
 ・フィルター


Programming(プログラミング)
(上述の)処理がされてきたものに反応する私たちの内側および外側の出力パターン。

 ・微妙な非言語の外側の変化
 ・内側の変化
 ・明示的な行動
 ・言語表現 


脳01














NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
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NLPという名称について



Neuro-Linguistic Programming(NLP)is a behavioral model, and set of explicit skills and techniques, founded by Richard Bandler and John Grinder in early 1976.

NLP(神経言語プログラミング)は、1976年にリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーが創始した行動モデル、および、一式の明示的なスキルとテクニックである。

Defined as the study of the structure of subjective experience, NLP studies the patterns or “programming” created by the interaction between the brain(“neuro”), language(“linguistic”)and the body. 

「主観的経験の構造の研究」と定義されるNLPは、脳(『神経』)、言語(『言語』)、そして身体との相互作用によって生み出されるパターン、または『プログラミング』を研究するものである。

From the NLP perspective, it is this interaction that produces both effective and ineffective behavior, and is responsible for the processes behind both human excellence and pathology.

NLPの視点では、これは、効果的行動と非効果的行動の両方を生み出す相互作用であり、人間の卓越性と病理学の両方の背後にあるプロセスを適切に理解することができる。

Many of the skills and techniques of NLP were derived by observing the patterns of excellence in experts from diverse fields of professional communication including: psychotherapy, business, hypnosis, law, and education.

NLPのスキルとテクニックの多くは、心理療法、ビジネス、催眠、法律、教育などをはじめとする、プロのコミュニケーションの多角的な分野のエキスパートによる卓越性のパターンを観察することから開発された。


引用:
Encyclopedia of Systemic Neuro-Linguistic Programming and NLP New Coding 
p.849 “Neuro-Linguistic Programming(NLP)”
(最終閲覧日2019年02月12日)
http://nlpuniversitypress.com/index.html

本02














NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLPを存続させるためには

ジョン・グリンダー博士の言葉

「1970年代、私とバンドラーが行ったさまざまな帰納法的ワーク(例えば、卓越した心理療法家がセラピーを行っている場面のVTRを何度も繰り返して見ることによって、膨大な生のデータから、その卓越した心理療法家の言語や行動パターンの公式を見出すワーク)の結果、NLPという新しい体系を作り出しました。そして現在、NLPは、ビジネス、教育、司法、セラピー、プレゼンテーション、スポーツ、芸術など、さまざまな分野において幅広く浸透しています。そして今後も、ほぼすべての分野に深く行き渡っていくことでしょう。しかし私の見るところ、1970年代に私とバンドラーがNLPを創始したあとは、NLPの(さまざまな分野への)適用というものだけが存在してきているようで、私とバンドラーが行ったような、努力をして新しいものをクリエイトするNLP実践者が新たに出てこない限り、NLPは今後、徐々に衰退していき、やがて消滅してしまう可能性があると思っています。」


John01
















NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLP最初の著作

本02












NLP was originated by John Grinder (whose background was in linguistics) and Richard Bandler (whose background was in mathematics and gestalt therapy) for the purpose of making explicit models of human excellence.

NLPは、人間の卓越性に関する明快なモデルを作成する目的で、ジョン・グリンダー(背景は言語学)とリチャード・バンドラー(背景は数学とゲシュタルト・セラピー)によって創始された。

Their first work, The Structure of Magic Vols.& (1975 & 1976), identified the verbal and behavioral patterns of therapistsFritz Perls(the creator of Gestalt Therapy) and Virginia Satir (internationally renowned family therapist).

彼らの最初の著作、『魔法の構造,第鬼 & 第挟』(1975年 & 1976年)では、フリッツ・パールズ(ゲシュタルト療法の創始者)とヴァージニア・サティア(家族療法の国際的な第一人者)の2人のセラピストの言語と行動のパターンが考察された。

The Structure of Magic: A Book About Language and Therapy








Their next work, Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson, M.D. Vols. & (1975 & 1977), examined the verbal and behavioral patterns of Milton Erickson, founder of the American Society of Clinical Hypnosis (ASCH) and one of the most widely acknowledged and clinically successful psychiatrists of our times.

彼らの次の著作、『ミルトン・エリクソンの催眠的テクニックのパターン、第鬼 & 第挟』(1975年 & 1977年)では、米国臨床催眠協会の創設者で、現在、もっとも広く認知され、臨床的に成功した精神科医ミルトン・エリクソンの言葉と行動のパターンが考察された。






引用:
Encyclopedia of Systemic Neuro-Linguistic Programming and NLP New Coding 
p.850 “Historical Overview of NLP”
(最終閲覧日2019年02月11日)
http://nlpuniversitypress.com/index.html
本01





  








NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール


NLP最初の著作

NLP(Neuro-Linguistic Programming)がこの世に誕生するきっかけとなった4冊の著作についてご紹介します。

本01












フレデリック・パールズとヴァージニア・サティアの治療プロセス、すなわち、2人が使用している「言葉と行動のパターン」を観察し、それらを分析し、実用的なモデルとして体系化したもの(2冊)
The Structure of Magic, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1975.
The Structure of Magic, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1976.









上記2冊の日本語版が亀田ブックサービスより出版されました。
(2冊が1冊にまとめられています)

魔術の構造
リチャード・バンドラー
亀田ブックサービス
2000-08


亀田ブックサービス−公式サイト



ミルトン・エリクソンの治療プロセス、すなわち、彼が使用している「言葉と行動のパターン」を観察し、それらを分析し、実用的なモデルとして体系化したもの(2冊)
Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M.D, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1976.
Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M.D, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1977.






上記2冊の日本語版が春秋社より出版されました。
 


春秋社−公式サイト



クローバー02












NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール



NLPが誕生した経緯



NLP(Neuro-Linguistic Programming: 神経言語プログラミング)は、人間の卓越性に関する明快なモデルを作成する目的で、1970年代初頭に、アメリカのカリフォルニア大学サンタクルーズ校で誕生しました。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校: University of California, Santa Cruz, UCSC
公式サイト−UC Santa Cruz(英語版)

UCSC & Santa Cruz aerial view.
The Great Meadow is the undeveloped area between city and university.
UCSC01












Baskin Engineering Plaza
UCSC01












Organic farm rows
UCSC01














---------------------------------------------------------------------
【NLP共同創始者】


ジョン・グリンダー博士(John Grinder, Ph.D 1940-) 
John02
















・NLP創始時は36歳。
・カリフォルニア大学サンタクルーズ校の言語学助教授。
・専門は変形生成文法(transformational-generative grammar)。
・短期療法(Brief Therapy)のひとつの潮流となったNLPをバンドラーと創始。


リチャード・バンドラー(Richard Bandler, 1950-)
Bandler01














・NLP創始時は25歳。
・カリフォルニア大学サンタクルーズ校の学生。
・専門は心理学。
・ゲシュタルト療法を研究する過程でジョン・グリンダーと出会い、共同でNLPを創始。


---------------------------------------------------------------------
【NLP最初の研究対象】


ジョン・グリンダー博士とリチャード・バンドラー氏は、当時、心理療法の分野で高い成果を上げていた2人のセラピスト、フレデリック・パールズ(フリッツ・パールズ)ヴァージニア・サティアに注目しました。その後、3人目のセラピスト、ミルトン・エリクソンの研究を加えました。彼らは、それぞれまったく異なるセラピーのスタイルで、素晴らしい成果を出していました。

心理療法の分野で高い成績を上げていた3人が、クライアントを治療するプロセス、すなわち、3人のクライアントに対する「言葉」や「行動」のパターンを観察し、それらを分析し、実用的なモデルとして体系化したものが、後のNLPとなりました。

−ステップ1. セラピストの治療プロセスを観察する。
−ステップ2. 観察したものを分析する。
−ステップ3. 分析したものを体系化する。

このように、実用的なモデルを確立することで、誰もが簡単に、3人の天才セラピストと同様の成果を出せるようになりました。



フレデリック・サロモン・パールズ(Frederick Salomon Perls, 1893-1970)
Perls01













・ドイツ系ユダヤ人の精神科医。精神分析医。
・ゲシュタルト療法という心理学理論、心理療法の学派を創設する。
・自称 “Fritz Perls” (フリッツ・パールズ)。


ヴァージニア・サティア(Virginia M. Satir, 1916-1988)
Virginia_Satir01













・アメリカの心理療法家。
・家族療法(Family Therapy)の創始者のひとり。
・家族療法の母(Mother of Family Therapy)と称される。


ミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson, 1901-1980)
Milton_Erickson01












・アメリカの精神科医。心理学者。催眠療法家。
米国臨床催眠協会の創設者および初代会長。
 The American Society of Clinical Hypnosis(ASCH)


以上のように、ジョン・グリンダー博士とリチャード・バンドラー氏が、当時、心理療法の分野で高い成果を上げていた3人の心理療法家のセラピー・スタイルを研究し、その結果として生まれたものがNLP-Neuro-Linguistic Programming-です。

青空01












NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール



NLPが誕生した経緯

Downtown Santa Cruz, California from Mission Hill
サンタクルーズ01











A Pacific Avenue street corner
サンタクルーズ01














Natural Bridges State Beach
サンタクルーズ01
















1972年、アメリカのカリフォルニア大学サンタクルーズ校で、当時、言語学の助教授であったジョン・グリンダーと、同大学の学生として最終学年に在籍していたリチャード・バンドラーは、お互いのことをよく知るとても親しい間柄でした。

バンドラーは、精神科医フリッツ・パールズが提唱していたゲシュタルト療法に強い関心をもっていました。そして、バンドラーは、自分の友人で、SCIENCE AND BEHAVIOR BOOKS, INC. という出版社のオーナーでもあったボブ・スピッツアーのために、フリッツ・パールズのセラピーを研究することを思いつき、彼の個人セッションをできるだけ大量にビデオに録画しました。このビデオテープは後に、SCIENCE AND BEHAVIOR BOOKS, INC. から出版された『治療の目撃者』という本の材料となりました。

ボブ・スピッツアーは、サンタクルーズに貸家を所有しており、それを友人にレンタルしていました。当時、分化人類学や精神医学の研究者でありカリフォルニア大学でも教授として教鞭をとっていたグレゴリー・ベイトソンもサンタクルーズに住んでいましたので、バンドラーは、いくつかの理由から、ボブ・スピッツアーの貸家のすぐ近くに引っ越してきました。

バンドラーは、毎週一回、月曜日の午後に、ゲシュタルト療法を使ったグループワークを行いました。このグループワークの参加者はカリフォルニア大学の学生が多く、その参加費は1回5ドルという安いものでした。バンドラーは、この定期的に開催したグループワークの中で、みずからフリッツ・パールズの模倣によるセラピーの個人セッションを行い、クライアント役になった人たちに劇的な効果をもたらせていました。

バンドラーが行っていたフリッツ・パールズのモデリングは、直感的で、非常に卓越したものでした。そして、模倣の対象となったフリッツ・パールズ自身のレベルをはるかに超えるものでした。このように、自分の意識を深い変性意識状態に置いて、モデリング対象者が達成しているのと同じ、あるいはそれ以上のレベルのパフォーマンスを無意識的に達成できるようにする方法を、今日では、ディープトランスアイデンティフィケーション(Deep Trance Identification/DTI)と呼んでいます。

バンドラーは、理論的な解釈に秀でているグリンダーに、ゲシュタルト療法がとても興味深いものであることを伝え、自分が行っているセラピーの個人セッションを観察して、理論的な分析をして欲しいと依頼しました。しかし、グリンダーは気が進まず、バンドラーの依頼を断りました。しかしその後、バンドラーからの度重なる招待の末、グリンダーはしぶしぶバンドラーが行っているグループワークの会場に足を運んでみることにしました。そこでは、バンドラーとフランク・ピューセリックが、ゲシュタルト療法のワークを行っており、創始者であるフリッツ・パールズよりもさらに短時間でセラピーの劇的な効果を出していることを目の当たりにし、グリンダーは好奇心をそそられ、そのグループワークに加わることにしました。

バンドラーは、自分が行っているゲシュタルト療法のグループワークや個人セッションを、どのようにうまく指導を行っているのか、そして、どのやり方が効果的なのかについて、まだ正確に知ることができなかったのです。実際に、ある技を持っているということと、それをどのようにうまく使っているかを明瞭に知ることとは、大きな違いがあります。

そこで、グリンダーとバンドラーは、ひとつの試みを行うという約束を交わしました。それは、まず最初にバンドラーがゲシュタルト療法のやり方をグリンダーに教えて、次に、グリンダーが、バンドラーがどのようにゲシュタルト療法を行って高い効果を出しているのかを分析して彼にフィードバックするというものです。こうしてグリンダーは、毎週一回、月曜日の午後に、このグループに参加して、バンドラーをモデリングしました。このとき、バンドラーは、特に重要だと思われるパターンを目配せしたり声の調子を変えたりしてグリンダーに知らせるようにしました。

グリンダーは、バンドラーが行っていることを観察し、素早く学び取り、明確に分析することに成功しました。そして、グループに参加した2ヶ月後には、そこで行われていることのパターンを抽出し、バンドラーと同じように実行することができるようになりました。グリンダーはその後、毎週一回、木曜日の午後に、「奇跡の再現」というテーマで、グループワークを開催するようになりました。月曜日の午後にバンドラーが行なったゲシュタルト療法のグループワークを、木曜日の午後にグリンダーが「奇跡再現」という名称で同じ内容のものを行うというものです。この2つのグループワークから生み出される成果は成功していきました。

このように、バンドラーが直感的に行っていたワークを、グリンダーが分析し、パターン化した結果、NLPの最初の著書『魔法の構造』が誕生しました。セラピーの魔法使いが駆使しているスキルとして、第1巻では「言語パターン」が、第2巻では「非言語パターン」が分析的に記述されています。

バンドラーは、次に、家族療法の母と言われるヴァージニア・サティアが、家族療法家のためにカナダで開いていた1ヶ月間という長期間のトレーニング・セミナーに参加し、ビデオに録画をするという仕事を得ました。バンドラーはもともとヴァージニア・サティアと会ったことがあり、非常に親しい間柄でした。バンドラーは家族療法のセミナーが行なわれているあいだ、ずっと録音室に閉じこもり、外界との繋がりはセミナー会場とのマイクだけでした。彼は2つに分割したイヤフォンを持っていて、片方の耳で録音レベルを調節しながら、もう一方の耳ではよくピンク・フロイドのテープを聞いていました。

このトレーニング・セミナーの最後の週に、ヴァージニア・サティアは、模擬的なカウンセリングの状況を設定して、自分がこのセミナーで教えてきた内容を使ってどのように解決するかについてセミナーの参加者に質問をしました。それに対して参加者たちの多くは回答することができず、当惑したようすで時間が過ぎていました。そのとき、バンドラーは部屋から大急ぎで駈け下りてきて、バージニア・サティアが教えてきた内容を使って、カウンセリングの中で提示された問題を見事に解決してみせました。それに対してヴァージニア・サティアは、「まさにその通り」と言いました。バンドラーはヴァージニア・サティアの治療のパターンを意識して学ぼうとはしていませんでしが、参加者の誰よりもよく知っているという奇妙な状況になっていました。バンドラーはなぜ自分がそのような状況になっているのかを自分で理解することはできませんでした。そこで、グリンダーは、ヴァージニア・サティアが教えていたものを、バンドラーからモデリングして、分析して見せました。バンドラーとグリンダーの観察対象者のモデリングの能率はかなりのレベルまで向上していました。ヴァージニア・サティアのモデリングは、2ヶ月ではなく、3週間で仕上げていました。

1976年、グリンダーとバンドラーは、ヴァージニア・サティアと共著で、『家族とともに変化』を出版しました。この著書では、セラピストが、知識をもって対応することが必要なコミュニケーションのパターンが分析され、家族療法のための基本戦略が論じられています。

−Bandler, R., Grinder, J., & Satir, V.(1976). Changing With Families: A book about further education for being human. Palo Alto, California: Science and Behavior Books.

書籍01





















このようにして、グリンダーとバンドラーは、ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズと、家族療法の母と言われるヴァージニア・サティアの2人の卓越した心理療法家のモデリングに成功しました。フリッツ・パールズとヴァージニア・サティアはまったく異なる性格を持っており、同じ部屋で共に過ごすことができなかったという事実があるほどです。従って、2人のセラピーモデルは対照的であり、それだからこそ、2人のセラピーをモデリングすることができたということが、グリンダーとバンドラーにとって補完的な効果をもたらしました。

そういった成果を知ったグレゴリー・ベイトソンは、門下生であるグリンダーとバンドラーに次のような提案をしました。

「アリゾナ州のフェニックスに非常に、ミルトン・エリクソンという非常に奇抜な催眠療法家がいる。エリクソンを訪問して、彼について研究してみなさい」

このベイトソンの助言を受けて、グリンダーとバンドラーは、ミルトン・エリクソンの治療プロセス、すなわち、彼が使用している「言葉と行動のパターン」を観察し、それらを分析し、実用的なモデルとして体系化し、『ミルトン・エリクソンの催眠的テクニックのパターン第1巻』(1975)、『ミルトン・エリクソンの催眠的テクニックのパターン第2巻』(1976)という2冊の本を出版しました。ミルトン・エリクソンは、米国臨床催眠協会(ASCH)の創設者で、現代もっとも広く認知され、臨床的にも多くの成功を修めた精神科医です。グリンダーとバンドラーは、ミルトン・エリクソンの言語、および行動のパターンを観察し、直感的なモデリングと緻密な分析を行い、2〜3日ほどで文章会して、本として出版しました。

Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M.D, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1976.
Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M.D, Vols., Bandler, R. & Grinder, J., 1977.





上記2冊の日本語版が春秋社より出版されました。
 



2人の卓越した心理療法家のモデリングに成功したグリンダーとバンドラーは、その後、カリフォルニアで、医師やセラピストの手に負えないような重度のクライアントをセラピーするビジネスを始めました。その際に、2人は、「あらゆる方法がうまくいかず、最後の最後の手段として、私たちのところに訪ねてきてください」という条件を課していました。この条件は、ミルトン・エリクソンがクライアントの家族に課していた条件と同じでした。ある意味、この条件というのは、クライアント側の「絶望的コミットメント」がなければ奇跡的治療はありえないということでもありました。

グリンダーとバンドラーは、NLPが誕生するきっかけとなる数冊の著書を出版したあと、一連のワークショップの開催を始めました。そして、これらの一連のワークショップの内容は、録音テープをもとに、後日、転記編集されて、次のような著書で紹介されています。

−Frogs Into Princes, Bandler, R. & Grinder, J., 1979.
  邦訳『王子様になったカエル』
−Trance−Formations, Grinder, J. & Bandler, R., 1981.
  邦訳『あなたをかえる神経言語プログラミング』
−Reframing, Bangler, R. & Grinder, J., 1981.
  邦訳『リフレーミング』


グリンダーとバンドラーが共同で行っていた一連のワークショップでは、強いトラウマを抱えた人々が数分間でそれを克服できるような劇的なセラピー効果を達成していたため、NLPの良い噂が口コミで広がっていきました。その後、NLPは、米国全土に広まり、英国をはじめとする西洋の国々にも広まっていきました。

1980年、NLP共同創始者ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラー、そして、NLP共同開発者ロバート・ディルツとジュディス・ディロージャの4人は、『NLP』(第1巻)という共著を出版しました。「NLP」という名称が初めて登場したのがこの著書です。これらの事実から、おそらく、4人で編纂したこの『NLP』(第1巻)という著作によって、」「NLP」というものが完成されたと思われます。

−Neuro-Linguistic Programming: Volume1, Grinder, J., Bandler, R., Dilts, & Delozier, J., 1980.




また、1980年は、非常に重要なNLPのベストクラシック入門書『Magic of NLP』の初版が出版された年でもあり、NLPが心理療法の代替学派のひとつから、さらに適応性のある一般的なコミュニケーション心理学の方法論へと変容したという歴史的事実とも呼応しています。

−Magic of NLP demystified, Lewis, B., & Pucelik, F., 1980.


Magic of NLP Demystified
Byron Lewis
Crown House Pub Ltd
2012-08-13



同年、NLP共同創始者グリンダーとバンドラーの師グレゴリー・ベイトソンがこの世を去り、それと同時期に、グリンダーとバンドラーのパートナーシップが解消されました。そこで、続編となる『NLP』(第2巻)の編集と出版は中止となりました。このことからも、『NLP』(第2巻)は非常に重要な位置づけをもつ著書となりました。

NLP共同開発者ロバート・ディルツとジュディス・リロージャは、未完成のプロジェクトを完成させるため、NLP事典の執筆に着手しました。そして、『体系的NLPとNLP新コーディングの百科事典』(全2巻)が完成し、2000年にNLPユニバーシティから出版されました。この事典はA4サイズで各巻800ページ、合計1600ページの大書です。

−NLP事典『体系的NLPとNLP新コーディングの百科事典』(全2巻)
Encyclopedia of Systemic Neuro-Linguistic Programming and NLP New Cording, Dilts, R., & Delozier, J., 2000


NLPの本質的な体系は、1980年に出版された『NLP』(第1巻)がこの世に現われたあたりでほぼ完成されており、その後は、NLPの体系を各分野に適用するワークしか展開されていないように思われます。


森01












NLP共同創始者ジョン・グリンダー氏は、NLPのモデリング局面をNLPの真髄と位置づけています。グリンダー氏は、(NLPモデリングの結果として生まれた)NLPの創始以来、ほぼ(公式を応用するだけの)NLP適用しか発展してきていないという警告を発しています。

ジョン・グリンダー氏の言葉:
「1970年代、私とバンドラーが行ったさまざまな帰納法的ワーク(例えば、卓越した心理療法家がセラピーを行っている場面のVTRを何度も繰り返して見ることによって、膨大な生のデータから、その卓越した心理療法家の言語や行動パターンの公式を見出すワーク)の結果、NLPという新しい体系を作り出しました。そして現在、NLPは、ビジネス、教育、司法、セラピー、プレゼンテーション、スポーツ、芸術など、さまざまな分野において幅広く浸透しています。そして今後も、ほぼすべての分野に深く行き渡っていくことでしょう。しかし私の見るところ、1970年代に私とバンドラーがNLPを創始したあとは、NLPの(さまざまな分野への)適用というものだけが存在してきているようで、私とバンドラーが行ったような、努力をして新しいものをクリエイトするNLP実践者が新たに出てこない限り、NLPは今後、徐々に衰退していき、やがて消滅してしまう可能性があると思っています。」


John01


















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