脳の研究に関して、現代は、胸がわくわくするような時代だ。20世紀後半以降、脳の中で起きていることが、脳波検査、脳磁場検査、経頭蓋磁気刺激法(TMS)といった電気生理学的手法や、陽電子放射断層撮影法(PET)、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)といった画像研究手法などのおかげで、次第に解明されてきている。先日も、人が見た文字や図形を脳から読み取って画像化する技術の開発が報じられ、話題になった。脳の血流の変化を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で計測し、コンピューターで分析して再現した「neuron」という文字や「+」「×」などの記号をご覧になった方も多いだろう。こうした手法を使って挙げた素晴らしい成果のうちでもひときわ目覚しいのが本書のテーマであるミラーニューロンの発見だ。

この発見の経緯がまた面白い。もともとミラーニューロンという発想はなかったのだから、研究者たちは最初からミラーニューロンを探していたわけではない。1990年代に、サルが特定の行為をしているときに活性化するニューロンを調べていたら、同じ行為を実験者がしているのをサルが目にしたときにもそのニューロンが活性化することが偶然わかった。このニューロンは、他者が行っている行為を、あたかも自分が行っているかのように、鏡さながら自分の脳に反映するので、「ミラーニューロン」と名づけられた。

先ほど、ミラーニューロンという発想はなかったと書いたが、実は、哲学者はミラーニューロンの働きに通じる心的現象を、とうの昔から考えてきた。物事を真に理解するには、自分の心でそれを経験しなければならないという見方は以前からあったし、ニーチェは、身体行為の模倣によって共感が生まれるという見解を、すでに1880年代に示している。また、舞台演出家のピーター・ブルックが指摘しているように、観客が演技者の行為と情動を自分の中で共有していることは、演劇界では長らく常識だった。

人は、他人の行動を目にしたときに、反応が脳内にとどまらず、図らずも同じような行動をとってしまう場合があることもよく知られている。本書の中でも、「跳躍の試合で選手が飛ぶと、観客の多くは足を動かすという話も聞いた」というダーウィンの1872年の言葉が紹介されているし、俗にあくびは伝染するとよく言うが、それもこの類かも知れない。ただ、以前は、そうした考えの真偽を確かめたり、反応の仕組みや原因を突き止めたりする実験的な手段がなかっただけだ。そこへ、冒頭で述べたように、技術の進歩のおかげで科学的な解明が進み、ミラーニューロンが発見され、鋭い洞察力を持った先日の説を裏づけることになったわけだ。

私たち人間は、日常生活の多くの部分をほとんど意識しないまま、何の支障もなくこなしている。しかし、それがいかに大変なことかは、例えば人間に似たロボットと作ろうとすればたちまち明らかになる。人間と同じような動きをさせるだけでも難しい。ロボットが空いての表情を読み取ったり、相手の感覚や気持ちを理解したりすることは、それを輪にかけて困難だ。そころが人間は、それを普段から何気なくやっている。このような驚くべき能力の鍵を握っているのが、ミラーニューロンだ。(ミラーニューロン/訳者あとがきp.216-217から引用)

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ミラーニューロン