New Code NLP School

NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士とNLP共同開発者カルメン・ボスティック・サンクレア女史が監修するニューコードNLPスクールの公式ブログです。

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−p.173 NLP's Third Model: The Milton Model

NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル(2)

この素晴らしい会合の一週間後、グレゴリーは再び私たちを彼の家に呼び、私たちのモデリング技術を彼が何十年間も持ち続けてきた夢に役立てるよう促しました。マーガレット・ミードと結婚した30年代、そしてバリで共同の人類学のフィールドワークを行う準備の間に、彼ら二人は意識の変性状態に関する基礎について勉強する必要性を認識していました。ダンスのような特定の芸術活動に含まれるパフォーマンス状態を達成するための、通常社会的に期待され受け入れられた方法として、バリ人が公式にトランス状態に入ることは既によく記録されていました。広範囲な調査の後、彼らは医学催眠術の実践者の中で最も熟練しているという評判のあった反逆的な精神科医のミルトンH・エリクソン博士を知りました。ミルトン・エリクソン博士について費やした彼らの時間は、グレゴリーに、無意識のコミュニケーションにおけるその男の天才性を確信させました。グレゴリーがMRIの調査を率いた何年も後に、彼はジェイ・ヘイリーとジョン・ウィークランドを含む彼の研究グループのメンバー数人を、エリクソン博士が暮らし、彼の理解しがたい技術を実践していたフェニックスに送りました。グレゴリーがこの会話の中で困惑した表情で顔をしかめながら言うには、

 

 彼ら全員が彼らのこの老人の経験に夢中になって戻ってきたんだ!

 

このときまでに、リチャードと私はいくつかの彼の出版物を読むことを通してエリクソンについていくらか精通していて、私たちがこの注目すべき人へのアクセスを求めることを既に決心していました。リチャードはすぐに、彼がフェニックスに向けて今すぐ出発する準備ができていると答えました。私の声がこのような言葉を発しているのを聞いたときの私の驚きを想像してみてください。

 

 ありがとう、グレゴリー。しかし私はまだエリクソンのモデリングをする準備ができていません。

 

私たちはグレゴリーに、私たちはそのモデルを行うだろうが、それはまだである、と断言しました。リチャードは私のためらいを理解していませんでした−私自身がそれを明確に話せなかったのに、どうして彼がそれをできたでしょうか。私は、行かないことを十分に知っていました・・・まだ。

 

私が自分自身を整理することに成功し、フェニックスに行くことについて矛盾がない状態を達成するまでに、3ヶ月以上が経過しました。リチャードは喜びました−私たちはグレゴリーに電話をし、彼も同じくそのニュースに本当に喜びました。彼は自信満々に、私たちに先に行って飛行機に乗るように言いました−その間に、彼はエリクソン博士に電話をして手配をしたのでしょう。彼は私たちに、フェニックスに着いたらなるべく早く電話をするようにと指示しました。私たちは翌日フェニックスに到着し、そこのチェーンホテルの一つのスイートにチェックインし、グレゴリーに電話をしました。がっかりしたことに、彼の説明によると、彼はエリクソンに話をし、エリクソンは私たちに会うことにとても興味を持っていたが、彼はちょうど彼にとってひどく骨の折れるイベントである臨床催眠学会の年次総会を終えたところで、今から数日間、彼の3人の親しい生徒と一緒にこもることになっているとのことでした。

 

私たちは電話を終え、お互いを見て、仕事に取りかかりました。私たちは聖書(「催眠術と治療の高度な技術」、編集者であるジェイ・ヘイリーとエリクソン博士によって書かれた豊富な記事の概要)の写しを取りだし、様々な記事の中に多くのトランス誘導を見つけました。私たちは、私たちの目的のために必要と思われるものをどのようにこのパターン化から抽出するかについて合意するまで、次の一時間ほどの間これらの誘導について互いに読みました。テンプレート(鋳型)があると思われるまで、私たちは数時間かけてこれらの誘導を分析し、その様々なパターンを分類しました。メタモデルの区別と、エリクソンの仕事がとても上手く行われているという事実は、形式からコンテンツを分類することをとても簡単にしました。私たちは、全てのコンテンツの場所でエリクソンが関与したクライアントにとって適切な反応を引き出すために利用した資源を削除して、エリクソン博士に提示したい二つのメッセージの変形を挿入しました。

 

 今すぐ時間を作って下さい!

 

 今すぐ私たちに会って下さい!

 

そして時には十分大胆に

 

 今すぐ時間を作って私たちに会って下さい!

 

私たちは、エリクソン自身の誘導の変換版の一部を、新しいメッセージを埋め込んで書き出しました。それから私たちはコインをはじきました。私が勝ちました−私はエリクソン博士と電話でこの誘導を行わなければなりませんでした。私は、リチャードが私の視界の外で、彼の口に手ぬぐいを詰めたまま、バスルームにある電話で聞くように主張しました。この仕事は私が持っている全ての集中が必要でした−私はバンドラーからのどのような気を散らすものも必要とせず、望んでもいませんでした−笑いの形でも、忍び笑いでさえも。

 

私はベイトソンがくれた番号に電話をかけました−リチャードはバスルームでもう一つの電話を取り上げました。ミルトンの妻であり、一人前のとても素晴らしい催眠術師であるベティ・エリクソンに、彼女の夫が本当に私と話したがっていたということを納得させた後、私は深く心が奪われるような声が私の耳に話すのを聞きました。

 

 はあああい、エリクソン博士です。

 

彼の息づかいがはっきりと聞こえ、私は言いました。

 

 エリクソン博士、ジョン・グリンダーです。グレゴリー・ベイトソンが私を送り出しました。

 

そして休むことなく、私は誘導を始めました。2分半の間(私たちは電話の前に時間を計っていました)、私の最大限のそして非常に限られた知識の限りにマスター自身のパターンを活用し、私は自分の挿入したメッセージを含む誘導を行いました。私は、彼の呼吸がゆっくりになったこと、そして私が提示した誘導を彼が静かに受け入れ続けたことに大いに励まされました。私は自分の声をゆっくりにしていき、最後に単に止めることで誘導を終えました。少なくとも30〜45秒の時間が経ち(私にとっては永遠でした)、それから彼は呼吸を速め、単に言いました。

 

 君たち、すぐにここに来なさい!

 

続く10ヶ月は奇妙で素晴らしい経験でいっぱいでした−私たちはフェニックスでエリクソンと一緒に3〜4日かけて、彼が患者とワークをした時に微細筋肉運動を使って彼を見て、聞いて、モデリングしました。それから私たちは、声が聞こえる範囲にやって来た人たち誰にでも私たちが執拗にマスターしようと試みているパターン化で拷問を加えるためにカリフォルニアに急いで戻りました。

 

毎日の時間は、公式の文脈とそれ自体を提示した文脈の両方において、実践訓練に費やされました−私たちのテーブルにシーザーサラダを用意しているウェイターは、突然彼の足が床にぴったりくっついて歩けなくなったことに気がつきました。

 

それからフェニックスへのフライトで私たち二人の間の中央席を占めた幸運な女性がいました。彼女はこの小旅行をくしゃみと咳をしながら始め、症状なく終えました。私たちがしたことは、砂漠の乾燥した空気とその治癒力について静かに話し合っただけです。

 

私たちは、催眠接触の誘導期を習得したと確信してからは、変更された状態の利用に集中したいので、時間を節約するために、クライアントの再誘導シグナルを用意しました。全ては催眠で、何も催眠ではなく、屋根はきしみ、床は震えました!

 

私たちは明白な分析を試みることを拒否するようかなり訓練されました−エリクソンに直接会う前でさえ、メタモデルを特徴付ける構文変数のいくつかが、この天才の言語的パターン化にいくつかの興味深い方法で関与していたことは私たちにとって明らかでした。しかし、私たちは、エリクソンがフェニックスで無私に私たちに示し、彼の記事で詳細に説明したものと同じ反応を私たちのクライアントから引き出すという私たちの行動能力を満足させるまで、どんな説明も拒否しました。私たちは、聖書(催眠術と治療の高度な技術)にある全ての催眠効果と私たちが直接観察したものとを再現することに着手しました−私たちは熱狂的な狂信者でした。

 

以前のように、リチャードは私より前に準備ができていました−3回彼は私たちがそれ−「ミルトンH・エリクソン医師の催眠技術のパターン」として知られるようになったものの第1巻−を書くことを提案しました−そして、3回にわたって私の返事は、まだだよ、兄弟、でした。

 

私が内的な一致を達成した後、バンドラーと私自身による本(「ミルトンH・エリクソン医師の催眠技術のパターン」第1巻)の最初の草稿の実際の執筆は、およそ36時間のマラソンで達成されました−その後の仕上げと洗練は8時間未満でした。

次のページ「方法論的解説」に続く

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Whispering In The Wind p.175-178
Part: The Eye of the Storm
Chapter 1: Contexts of Discovery

NLP's Third Model: The Milton Model
  

One week after this remarkable meeting, Gregory again called us to his home and urged us to put our modeling skills inservice of a dream he had carried for decades. In the '30's, married to Margaret Mead, and during the preparation for doing joint anthropological field work in Bali, the two of them had recognized the need to educate themselves onthe fundamentals of altered states of consciousness. It had already been well documented that the Balinese officially enter trance states as a normal socially expected and accepted way of achieving the performance states involvedin certain artistic activities such as dance. After making extensive enquiries, they learned of a renegade physician psychiatrist who had the reputation forbeing the most skillful of the practitioners of medical hypnosis, Dr. Milton H.Erickson. Their time spent with Dr. Milton Erickson had convinced Gregory ofthe man's genius in unconscious communication. Many years ater when Gregory was heading up the MRI investigations, he dispatched a umber of members of hisresearch group including Jay Haley and John Weakland to Phoenix where Dr. Erickson lived and practiced his arcane arts. As Gregory sald wryly during this conversation with a bemused look,

 They all returned entranced by theirexperiences of the old man!

By this time, Richard and I had some familiarity with Erickson's through reading some of his published work and had already determined that we would seek access to this remarkable man. Richard immediately responded that he was prepared to leave now for Phoenix. Imagine my surprise to hear my voice uttering the words,

Thanks, Gregory, but I'm notready to do the modeling of Erickson yet.


We assured Gregory that we would do the model but not yet. Richard did not understand my hesitation - how could he, when I, myself, couldnot articulate it. I knew enough not to go... yet.

More than three months passed before I succeeded in sorting myself out and achieved a state of congruity about going to Phoenix. Richard was delighted - we called Gregory who likewise expressed genuine pleasure at e news. He confidently told us to go ahead andget on a plane - he would meanwhile call Dr. Erickson and make the arrangements. He instructed us to call as soon as we got to Phoenix. We arrived the followingday in Phoenix, checked into a suite at one of the chain hotels there andcalled Gregory. To our dismay, he explained that he had spoken to Erickson and that while he was quite interested in meeting us, he had just finished the annual meeting of the Society for Clinical Hypnosis - a taxing event for himand that he was sequestered with his three closest students for the next few days. 

We finished the phone call, looked at one another and went to work. We took a copy of the bible (Advanced Techniques of Hypnosis and Therapy, a richcompendium of articles written by Dr. Erickson with Jay Haley acting as editor) and located a number of trance inductions inside various articles. We readthese inductions to one another for the next hour or so until we agreed on howto extract from the patterning what we believed we would need for our purposes. We spent several hours analyzing these inductions, sorting through its various patterns until we thought we had a template. The distinctions in the meta modeland the fact that Erickson's work is so well done made it quite easy to sortthe content from the form. In all the content spaces we removed material Erickson had used to elicit the res ponses appropriate for the client involvedand inserted variants of the two messages we wished to present to Dr. Erickson:

 Make time now!
 
 See us now!

And sometimes daringly enough even

 Make time to seeus now!

We wrote out portions of the transformed version of Erickson's own inductions with the new messages embedded. We then flipped a coin. I won - I was the one who got to do the induction on the phone with Dr Erickson. I insisted that Richard listen on the phone that was in the bathroom, out of my line ofsight with a washcloth stuffed in his mouth. Doing this task would require allthe focus I had - I neither needed nor wanted any distractions from Bandler - not in the form oflaughter or even giggles.

I placed the call to the number that Bateson hadgiven us - Richard picked up the other phone in the bathroom. After convincing Betty Erickson, Milton's wife, and a very good hypnotist in her own right, that her husband really did want to talk to me, I heard a deep riveting voicespoke into my ear,

 Yeeees, this is Dr. Erickson.

I could clearly hear hisbreathing and I said,

 Dr. Erickson, this is John Grinder - Gregory Bateson sent me.

and without pausing, I began the induction. For two and a half minutes (wehad timed it before the call), I moved through the induction containing the messages we had inserted, using to the best of my then quite limited knowledgethe master's own patterns. I was greatly encouraged by the slowing of his breathing and his continued acceptance by his silence of the induction I was presenting. I finished the induction by slowing my voice and simply finallystopping. A good 30 to 45 seconds followed (an eternity for me), then there wasa quickening in his breathing and he simply said,

 "You boys come over hereimmediately!" 

The succeeding 10 months were filled with strange and wonderful experiences - we would spend 3 to 4 days with Erickson in Phoenix watching, listening and modeling him with micro muscle movement as he worked with his patients. Then we would rush back to California to torture anyone whocame within hearing distance with the patterning we were obsessively attemptingto master.

Hours daily were devoted to disciplined practice, both in official contexts and in any context that presented itself - the waiter fixing the Caesar salad at our table suddenly found his feet were glued to the floor and wasunable to walk away.

Then there was the woman who had the good fortune to occupy the center seat between the two of us on a flight to Phoenix. She began thetrip sneezing and coughing and finished without a symptom and all we did wasalk to one another past her quietly about the dry desert air and its healing qualities.

We arranged re-induction signals with our clients once we had convinced ourselves that we had mastered the induction phase of the hypnotic encounter to save time since we wanted now to focus on utilization of altered states. Everything was hypnosis, nothing was hypnosis, the roof creaked, the floor trembled!

We were quite disciplined in refusing to attempt any overt analysis - it had been clear to us even before meeting Erickson directly that some of the syntactic variables that informed the meta model were involved in some interesting way with the linguistic patterning ofthis genius. However, we rejected any explication until we were satisfied withour behavioral competency in eliciting the same responses from our own clients that Erickson had both unselfishly demonstrated to us in Phoenix and had socarefully detailed in his articles. We set out to reproduce every hypnoticeffect in the bible (Advanced Techniques of Hypnosis and Therapy) as well asthose we had observed first hand - we were flaming zealots.

As before, Richardwas ready before I-three times he proposed that we write it - the first volumeof what came to be known as Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H.Erickson, M. D.  - and three times my response was, Not yet, bro'

Once I had achieved the internal congruency, the actual writing of the first draft of theb ook (volume I of Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson,M.D.) by Bandler and myself was accomplished in a single marathon of some 36hours - the subsequent clean up and polishing less than 8 hours.

Whispering In The Wind
Carmen Bostic St. Clair
John Grinder & Carmen Bostic
2001-12-31



NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール
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NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル(1)

NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル

1975年にバンドラー、グリンダー、ベイトソンは全員、個々の住居をカリフォルニア州ベンローモンドのアルバロード1000番地に持っていました。その年の後半に「魔術の構造 第1巻」として出版されたものの原稿版は、バンドラー、グリンダー、プセリックの3人の男性の周りに集まって彼らの研究を手助けしようとしていた興奮した人々のグループの間で回覧されていました。ベイトソンは数週間前にこの原稿のコピーを提供されていました。グリンダーとバンドラーは、彼らが達成しようと試みていたことを彼に認めてほしいと望んでいました。彼らの希望は、電話でベイトソンのところにやってくるよう招待され、知的な饗宴−何時間も続いたベイトソンとの並外れた刺激的な議論−をご馳走になった時に満たされました。

 

グレゴリー(訳注:グレゴリー・ベイトソン)は、ダイニングルームに長い木製のテーブル−神秘的なノルマン調で、ダークウッドの切りっぱなしで、頑丈な、価値のある一品−を置いていました。グレゴリーは、まるで裁判を行うかのように、この奇怪なものの一端に身を置き、二人の若い男性に自分のすぐ右隣(グリンダー)と左隣(バンドラー)に座るように指示しました。その後の会話は魅惑的でした。注目すべきことに(そしてグリンダーとバンドラーにとってその当時でもそう思われたように)、その原稿の中で詳しく研究されたベイトソンのパターン化の運用能力はあまりにも完璧だったので、実際にそれを議論するのにほとんど時間が費やされませんでした。

 

グレゴリーは独り言を言いました。その大部分はMRI(訳注:Mental Research Institute)で彼と彼の同僚が行った研究の思い出話であり、それから(彼が後に魔術の構造の序文で明確に述べたように)私たちが実際に発見しこの本の中でコード化したことをどのように彼と彼の仲間が見逃していたか−「どのように議論が言語学から上手く引き下げられたか、彼が病理学と文化的パターンから始めたことを試みることがどれほど混乱していることだったか」−についての妙に準謝罪的な解釈でした。彼は快く本の紹介文を書くことを申し出、そしてもはや関連性のない古くて反復的な夢から目覚めたかのように、好奇心と知性で輝く知的で容赦のない深い眼で私たちをそれぞれ順番にじっと見つめながら言いました。

 

 OK、貴方たちがしたことは非常に良いことですが、魔術の構造にあることは、少し前に起こったことだと確信しています。私の質問は、貴方たちがメタモデルをコード化してから何を発見したのか、ということです。

 

私たちは魅了されました−ここにいたのは、知的な巨人として容易に認識され、当時私たちが頭をいっぱいにしていた新しい一連のパターン化に飛躍するために私たちがどうしていたかを十分に理解した男でした。

 

 よくやった。そして・・・

 

リチャードと私は畏敬の念を抱きながら彼の質問を聞き、完全に同意しながらお互いを見て、明言をする前に経験における句読点の重要性を示すために崖に潜る人(クリフダイバー)のように一時停止し、そして努力なく私たちから流れ出す説明の大きな波を解放しました。

 

今や快活な様子で、グレゴリーは私たちを美しく編成しました−まるで追いかけられているように私たちがパターン化に突進している間、彼は私たち二人に耳を傾けました。時には私たちのうちの一人が、時には別の一人が、時には私たちの両方が同時に、彼の広大な知性を私たちの所見で満たすことを試みているかのように話しました。彼は私たちの間に座り、彼の目は水平線の上の特別な点に固定され、何ヶ月もの私たちの仕事の報告を徹底的に処理しました。

 

時々、彼は流れを凍らせ、興奮を冷まし、椅子にもたれかかり、前方の大きなテーブルや彼の左側に視線を落とし、この二人の狂人をより浅い水の中へと導く質問−彼の豊かな内なる王国をつなぐパターンを完成させる質問であり、彼の世界の知性に70年以上関与して集めた質問であり、彼が理解できないプロセスを続けることを欲した答え−を作りました。

 

私たちは二匹の犬のように、主人が行きたいと思われるところに案内しようとし、時々先を走り、時々彼をじりじりと追い上げ(nipping his heels)、常に彼の手がかりに注意を払い、常に彼の意図に忠実でした。

 

そして私たちは疲れ切って爽快な気分で、ついに私たちの長い登りの終わりに三人一緒に到着しました。今や私たちは、より思慮深く、もはや新しいものに追い立てられず、目下今という時に興味をもち、椅子に深く座っていました。

 

彼の豊かな声に新しいトーン−これまでに表現されたものより、さらに深い感情を示唆するもの−がありました。長い登りの間に鮮やかに光っていた彼の知性の鋭い刃は覆われました。間違いなく、何十ものケーススタディ、それぞれが独自の説得力のある比喩を伴ったライフストーリーの中で、長い間で初めて何かが彼を深く感動させました。彼は、彼の青春期からの特定の出来事、彼の愛する兄ジョンの喪失と続行していないスイスでの選択の喪失について−全てがまるで自身の物思いにふけっているかのようで、私たちの注意深くしかし受動的な存在の中で快適であるかのように−静かに語りました。彼はついに自分の要求を満たし、そして注意をもう一度私たちに向けました。

 

今や彼の助言は彼から私たちへと緩やかに移動しました。それは逆進する波でしたが、より洗練され、正確でした。彼はこのように多くのことを話しました−私はその二つだけ言及します。

 

彼は私たちが協力しながらどれくらいの時間一緒に働いてきたのか尋ねました。私たちは「約3年間」と答えました。彼は、このような生産的で革命的なコラボレーションは滅多に起こらず、しばしば短命であるので、毎瞬を大切に楽しむことを強く勧めました。リチャードと私は互いの目を引いて、不死性についての一定の知識と、他の人間達が尽力したパターンからの決定的に認められた例外のみからくる信頼を、そのきらめきで確認しました。

 

彼は、私たちが他の誰にこれらの投稿した「魔術の構造 第1巻」のパターンを提示したのか尋ねました。私たちは、「貴方以外には誰も」と答えました。彼は、どのような前向きなステップを講じるべきか確信がないと述べましたが、以下を指摘することによって彼のアドバイスを終えました。

 ・・・今日の午後にここで貴方たちが私に紹介したものより少なかったのに、彼らはジャンヌダルクを火あぶりにしたのだ。

次のページ「NLPの3番目のモデル:ミルトンモデル(2)」に続く

森林










Whispering In The Wind p.173-175
Part: The Eye of the Storm
Chapter 1: Contexts of Discovery

NLP's Third Model: The Milton Model


1975, Bandler, Grinder and Bateson all had their individual residences at 1000 Alba Road, Ben Lomand,California. The manuseript version of what would be published later that year as The Structure of Magic, volume I had been circulating among an excited group of people who had collected around the three men, Bandler, Grinder and Pucelik and who were assisting them with their research. Bateson had been provided with a copy of this manuscript some weeks earlier - Grinder and Bandler hoped that he would recognize what they had attempted to accomplish. Their hopes were more than met when they were invited by phone to come over to Bateson's place where they were treated to an intellectual feast - a remarkable and stimulating discussion with Bateson that lasted hours.

Gregory had a long wooden table in his dining room - one worthy of a mythical Norseman, rough-hewn of dark wood and sturdy. Gregory pointedly positioned himself at one end of this monstrosity as if conducting court and indicated to the two younger men to seat themselves immediately at his right (Grinder) and left (Bandler). The conversation that ensued was enchanting. It is noteworthy (and it seemed so even at the time to Grinder and Bandler) that Bateson's command of the patterning worked up in themanuscript was so complete that little time was spent on actually discussingit.

Gregory offered a soliloquy, in large part reminiscences of the research he and his colleagues at MRI had conducted and then a strangely semi-apologetic rendering of (as he later clearly stated in his Introduction to The Structureof Magic) how he and his associates could have missed what we had, in fact, discovered and coded in the book - "how well the argument flowed from the linguistics, how confusing it had been to attempt what he had done starting with pathology and cultural patterns." He graciously offered to write an Introduction to the book and then, as if rousing himself from an old and repetitive dream no longer of relevance, he fixed each of us in turn with his deep intellectually unforgiving eyes glinting with curiosity and intelligence and said

 OK, boys, what you have done is very good, but I am certain that what's in The Structure of Magic happened some time ago - my question is whathave you found since coding the meta model.

We were enchanted - here was a man, easily recognizable as an intellectual glant, who understood well enough what we were about, to leap to the new ets of patterning that were obsessing us atthe time.

 

 Well done and...

Richard and I listened to his question in awe, looked at one another with perfect agreement, paused like cliff divers tomark the importance of that point of punctuation in experience before committing and then released a great wave of descriptions that flowed from uswithout effort.

Buoyant now, Gregory orchestrated us beautifully - he would sitlistening intently to the two of us as we rushed forward into the patterning as if pursued. Sometimes one of us spoke, sometimes the other, sometimes both of us simultaneously as if attempting to fill his vast intelligence with our observations. He sat there between us, his eyes fixed at that special pointabove the horizon, processing thoroughly the reports of months of our work.

From time to time, he would freeze the cascade, breaking the spell, leaning back in his chair, dropping his gaze to point on the great table forward and tohis left, shaping the question that would guide these two madmen into shallower water - the question that would complete the pattern that connects in his rich internal kingdom, assembled over 7 decades of participation with intelligencein the world about him, the answer he wanted to continue his incomprehensible process.

We were like two dogs, attempting to guide their master to where they believed he wanted to go, sometimes dashing on ahead, sometimes nipping at hisheels, always attentive to his cues, always loyal to his intention.

The three of us arrived together then finally at the end of our long climb, exhausted and exhilarated. We sat back now, more thoughtful, no longer driven into the new,and presently curious about the now.

There was a new tone in his rich voice - one suggesting deeper emotions than thus far expressed. The sharp edge of his intelligence that had flashed brilliantly throughout the long climb was sheathed. No doubt,among the dozens of case studies, the life stories, each with its own compelling set of metaphors, something had stirred deep within him for the first time in a long time. He quietly recounted certain events from his youth, the loss of his dear brother John and of choices in Switzerland not pursued - all as if musing to himself, comfortable in our attentive, but passive presence. He worked it out finally then to his own requirements; and turned his attentiononce again to us.

His counsel now rolled softly from him to us, areciprocal wave, but more refined and precise. He spoke of many things in thisway - I will mention but two:

He asked how long we had been working together, collaborating. We responded, "Three years about" - He urged us tosavor every moment as such productive and revolutionary collaborations were rare occurrences and often short lived. Richard and I caught each other's eye,confirming with a twinkle the confidence that only comes with certain knowledge of immortality and an irrevocably granted exception from the patterns other members of the species labored under.

He asked who else we had presentedthese post Magic I patterns to - we replied, "To no one other thanyou." He indicated he was unsure of what positive steps to take but hefinished his advice by pointing out that

 ....they burned Joan of Arc for lessthan you have presented me here this afternoon.

Whispering In The Wind

Carmen Bostic St. Clair
John Grinder & Carmen Bostic
2001-12-31



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