森林











聖人カリアッパ師から、頭の中を空っぽにしろといわれてもう五日過ぎた。「私は空っぽになるのだ」と朝、昼、晩と自分に言いきかせた。もう大分、頭の中が空っぽになったようだ。そのせいか、今日は、妙に気分がいい。

今日こそカリアッパ師に、病気の治し方を教わろう。聖人といわれる人だから、彼は今日の私をみれば、私がどれだけ空っぽになったかがわかるはずだ。早く私の病気を治してもらわないと、間に合わなくなる。
中村は、カリアッパ師と会うのが楽しみだった。

ようやく、朝のお勤めにカリアッパ師は、姿を見せた。カリアッパ師はいつものように、ひとりひとりに挨拶をしながらやって来た。中村は、皆に混じって神妙に待機した。

そのときカリアッパ師は、中村に一瞥(いちべつ)しただけで通り過ぎようとした。
「カリアッパ先生!」思わず声に出した。ギョロリとした目をむいて、カリアッパ師は振り向いた。

「先生、私はもう頭の中は空っぽになっています」。なぜか情けない気持ちがして、哀願するように言った。カリアッパ師は、じいっと中村を見つめたままだった。沈黙が二人の間を走った。

「本当か・・・・」、ようやくカリアッパ師は声をかけた。

「ハイ、あれから毎日、頭の中を空っぽにしょうと努力しました。もう大丈夫です。私は教わる準備ができています」。

早く教えてくれないと、私の病状はますます悪くなって間に合わなくなるという気持ちがあった。今さら、このままでは日本にも帰れない。切羽詰った状況だった。

その時、二人の間に、野良犬が一匹横切った。「おい、その犬を連れてこい」。すかさず、カリアッパ師は、弟子たちに命じた。犬が抱きかかえられて戻ってきた。何事かと犬はおびえていた。

中村の目の前で、カリアッパ師は、その犬を抱きかかえ、片手で腰の小刀を抜くや、さっと足を切った。「キャンッ」。悲鳴と共に血が飛び散った。犬は必死に飛び降りて、素早く逃げて行った。

「おい、中村ッ」と言うや否や、カリアッパ師は、中村の腕を取って、同じ小刀で、グサッと切りつけた。「何をなさるんですかッ?」、思わず中村は叫んだ。

 見れば、さきほどの野良犬の血のついたままの小刀だ。緊張感が走った。
怒り心頭をようやく抑えて、中村はつくづく思った。ここは亜熱帯性の気候だ。山深い谷間の、湿気の多い小さな村だ、どうみても衛生的には最悪の状態だ。薬も消毒薬も包帯もない。おまけに野良犬の血のついた小刀で切られた。下手をすると、間違いなく、破傷風になるだろう。条件が揃いすぎている。状態は深刻になった・・・・。

「どっちが早く治るか。競争だな」、無責任なことを言って、カリアッパ師は立ち去った。

もう怒る気力もない。ふてくされて横になった。破傷風になったらどうしよう。私は医者だからよく知っている。こんな所で、予防も治療も出来ない。そういえば、ズキズキと痛む。痛み方が尋常ではない。こんな所で破傷風で死にたくない。

翌日、気のせいか腕が重い。もうカリアッパ師と会う気もしない。開き直って寝ていた。破傷風の文字が頭から離れなかった。

二日経った。高熱が続いた。腕はすでに化膿している。全身に寒気を感じた。時々痙攣のようになる。やはり間違いなく破傷風だ。腕はもう上がらなかった。ひと晩中、うなってたようだ。肺結核で死ぬとばかり思っていたのに、こんなわけの分からぬ所で、破傷風で死ぬのか。ひとりぽっち。孤独だが、もうどうにでもなれという気持ちになった。

「おい、どうした?」朝、カリアッパ師がやって来た。
すっかり弱気になって、中村は起き上がった。「やはり、破傷風になりました」。だから言わんこっちゃないと、中村は恨めしくカリアッパ師を見上げた。

事情を察したカリアッパ師はゆっくりと中村の腕を取った。
「ほう、かなりひどいじゃないか」。
感心してる場合じゃない、しかし抗議する元気もない。

「おい、この間の野良犬を掴まえて来てくれ」。カリアッパ師は、弟子たちに命じた。
もう野良犬なんか見たくない。中村はただうずくまったままでいた。

どこでどう見つけたのか、弟子たちはこの間の犬を掴まえてきた。「よし、よし」そういって、カリアッパ師は、その犬を大切そうに、しっかりと抱きかかえた。

「おい、中村、この犬の足を見ろ。すっかり治っているぞ」。「ハイ」。
「ふむ、よく見たか、治ってるだろう」。
「ハイ、たしかに治っています」。「そうだ。しかしお前はどうだ?」、「・・・・・・・・」。

カリアッパ師は、犬を離して、再び中村の腕をとった。
「随分、腫れたものだ」。いい加減にしてくれと中村は思った。

「中村。お前に聞くが、なぜ犬は治ったのに、お前は治らないんだ?」
「あちらは犬ですから」。

冗談じゃない。犬と一緒にされてたまるかと思った。
「ほう、あちらは犬だから治ったのか、じゃお前は何だ?」。
「人間ですよ」、はき捨てるように言った。

「それじゃ聞くが、犬と人間と、どちらが上等に出来ているんだ?」。「もちろん、人間です」。くだらん事を聞くと思った。

「そうか、ではもう一度聞くが、下等な犬が治って、上等の犬がなぜ治らない? かえって悪くなっているではないか?」、

「・・・・・・・」
「中村、あらためて聞くが、お前の職業は何かね?」、
「ハイ、医学博士ということになっています」、
「医学博士? それはどういうことをする職業なのだ?」。
「ハイ、人の病気を治したりします」、
「ほう、病気を治すのか。それならあの犬は医学博士なのかね?」、「いえ」、とんでもないと、中村は首を振った。

「では聞くが、医学博士でない犬が治って、医学博士のお前が治らないで、かえって悪くなっているのはどういうわけかね?」、
「・・・・・・」

中村は言葉に窮してだんだん小さくなった。
しばらくカリアッパ師は、中村の顔を見つめていた。憐れむように優しくカリアッパ師は語りだした。

「なあ、いいかい。この前、あの犬が足を切られたとき、犬はどうした? 切られた箇所をひたすら舐めながら、必死に逃げて行ったろう。理屈ぬきに、傷口を舐めて、治ることを信じてただ舐め続けておった。

ところが、お前はどうだ? 何を考えていた? 私が代わりに言ってやろうか?」、
中村は妙に素直な気持ちになった。

「いいかい、お前はとっさに考えたろう。
こんな野良犬の血のついたままの小刀で切られた。あいにくここは亜熱帯性気候だ。湿度も高く、おまけに不衛生な環境だ。消毒も薬も包帯もない。これでは傷口から破傷風菌が入って、外毒素のために中枢神経がおかされる。間違いなく破傷風になると思ったろう!」。

「ハイ」、思わずうなずいた。しばらくおいてもう一度、「ハイ。その通りです」と言って神妙に頭を下げた。

「そうだろう、いいかい? お前が思ったその通りになったのだ」。それから静かに言葉を続けた。

「人間はね、自分の思った通りになるものなのだ」。

中村は、初めて心に染み通る言葉を聞いた。
このときが、哲人中村天風の誕生だといえよう。

良くも悪くも、自分の心の思いが、自分自身をつくり、自分の運命も、自分の人生もつくりあげていくのだ。




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記事更新日:2020/08/27