New Code NLP School

NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士、ニューコードNLP共同開発者カルメン・ボスティック女史が監修するニューコードNLPスクールの公式ブログです。

ニューコードNLPスクールの公式ブログです。

ニューコードNLPスクール公式ウェブサイトはこちらです。
http://www.nlp-school.jp/

■ミルトン・エリクソン

コミュニケーションの複雑性

ミルトン・エリクソン



ミルトン・エリクソンの言葉

1919
年、高校を卒業してまもなく、私はポリオを発症し、数ヶ月の間ほぼ全身が麻痺しました。無事だったのは、目と耳と思考力だけでした。農場の我が家に隔離状態となったため、気晴らしになるようなことはほとんどありませんでしたが、幸い、以前から人間の行動に関心があったので、両親や8人きょうだい、さらには、私のケアをしてくれていた准看護師の行動を観察するようになりました。体を動かせないため、私の観察はどうしても、彼らが私に関してどのようなコミュニケーションを取り合っているかという点に絞られました。

当時の私には、ボディランゲージやそれ以外の非言語的コミュニケーションについて、すでに多少の知識はありました。しかし、たった1回のやり取りにも、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションとの間に頻繁に矛盾があることに気づいて、私は驚きました。しかもそれは、私にとって、しばしばぎょっとするような矛盾でした。これに興味をかきたてられた私は、ことあるごとにますますじっくり観察するようになりました。

「ダブルテイク〔ひとつの言葉が二重の解釈をもちうること〕」とは、しばしばまったく別の経験から来る連想を基盤とした、異なるふたつの理解レベルにおける知覚のことですが、これに気づいたことで、観察の新たな場が開けました。やがて、「トリプルテイク」も起こりうることに気づくと、私は頭の中で、ひとつのコミュニケーションについていろいろなフレージング(言葉づかい)を繰り返し練習し、異なる理解レベルで異なる知覚を発生させたり、さらには、特性が矛盾するような知覚を発生させたりするようになりました。こうした努力を重ねた結果、そのほかにも数多くの要因がコミュニケーションを支配していることを認識するようになりました。そうした要因には、たとえば、声の調子、時間的な価値、提示の順序、遠近関係、内在的な矛盾、削除、歪曲、冗語、強調の過不足、直接/間接、曖昧さ、適/不適などがあります。

また、どうやら知覚と反応には複数のレベルがあり、それらは必ずしも、普通の気づき、すなわち、意識的な気づきのレベルにあるわけではなく、自己が認識しない理解レベルにあって、それがしばしが「本能的」や「直観的」という言葉で表現されているのだということも明らかになってきました。

その好例としてわかりやすいのは、何といっても、フランク・ベーコンが舞台演劇「ライトニン」で主役として見せた演技でしょう。彼はさまざまな場面において短く「ノー」というだけで、少なくとも16種類の意味を伝えました。例えば、明確な「ノー」、微妙な「イエス」、望みをほのめかす「まだです」、面白がっていう「ばかじゃないの!」、さらには、強烈に否定する「何があろうとも絶対に」といったものまで伝えていました。声の調子が変われば、それがひとつの語彙となって、言葉によるコミュニケーションを実際に変えることができるということであり、これはボディランゲージでも同様です。

その後、私は、クラーク・L・ハルによる実験的な催眠に出会い、注意を向ける焦点の数を減らすことや具体的な焦点を選択して操作することの可能性に気づくようになりました。これがきっかけとなり、コミュニケーションの複雑さに関する自分の気づきと、催眠に関する自分の理解とを結びつけ、実験や心理療法に役立てるようになりました。

私は、いまこうして、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーによる本書の「まえがき」を書いていますが、本書は、私の方法論を完全に説明しきれているとは決していえません。けれども、ふたりは、自ら明言しているとおり、私が自分でするよりもはるかにうまく、私のやりかたを説明しています。私は自分がしていることを理解していますが、どのようにやっているかは、とても説明できません。

その簡単な例としては、娘のクリスティーナが医学生だったころの体験を挙げるといいかも知れません。娘はたまたま、アーネスト・ロッシと私が書いたダブル・バインドに関する論文を取り上げる機会があり、それを読んだあと、面白がって言いました。「なるほど、私はそういうふうにしているってわけね!」その場にいたロッシ博士はすぐに訊ねました。「で、君は何をそいうふうにしているってわけなんだね?」

娘は説明しました。「どんな患者さんにも直腸とヘルニアの検査を拒否する権利があって、実際、多くの患者さんがそうしています。でも、私は、検診のその段階になると、患者さんに共感を込めていうんです。『わかりますよ、こうして私に目や耳や鼻をのぞき込まれ、あちこち突かれたり叩かれたりするのは、さぞかしうんざりでしょうね。でも、直腸とヘルニアの検査が終わったら、すぐに私にさよならが言えますから』って。そうすると、患者さんたちはいつも最後まで我慢して、そのさよならを言おうとするんです」

私は、コミュニケーションの複雑性がさらに分析され催眠に役立てられることを願っていますが、本書一冊にそのすべてを収めるのは無理なようです。また、分析とは別に、入念に構成したコミュニケーションを行うと、実際にはそう請われてないことも多いのに、なぜ、どのようにして、あれほど多くの効果的な反応を患者から引き出せるのかについても、分析されることを願っています。そうした追加の研究がゆくゆく行われることは間違いありません。リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーによる本シリーズの第巻を私は期待しています。

本書にこのまえがきを書くことを、ずっと楽しみに思い、名誉に思ってきました。本書が私の催眠技法を中心としたものだから、そういうのではありません。くだくだしい語唱や直接暗示、権威を笠に着た命令に代わって、意味のあるコミュニケーションを行なうべきだということが明確に認識される必要があり、長年の懸案だったその必要が、とうとう満たされたからこそ、そういうのです。
(ミルトン・エリクソンの催眠テクニック機慮生譽僖拭璽麒圈廚泙┐き)

 

ミルトン・エリクソンの催眠テクニックI: 【言語パターン篇】
ジョン・グリンダー
リチャード・バンドラー
春秋社
2012-04-25





NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール
ロゴマーク








記事投稿日:2020/06/24

ミルトン・エリクソンの生涯

1901年(00歳)1901年12月5日
−アメリカの西部に位置するネバダ州オーラムの銀鉱キャンプ場で誕生。


1905
年(03歳)
−父親が農業を始めるために家族全員でウィスコンシン州に移住する。


1906
年(04歳)   
−この頃から
言葉を話すようになる。

1908
年(06歳)   
−この頃から「m」と「
3」の違いがわかるようになる。
−いつも自然なトランス状態に入っていた。

1910
年(08歳)   
−父親が働く農場で
乳搾りを覚える。 


1917年(15歳)   
−自宅から4〜5マイル離れた高校に歩いて通学する。
−在校生は少なく、エリクソンの同級生は6人で男子学生は2人。


1918
年(16歳)   
−辞書の使い方がわかるようになる。
−英単語 '
government' の発音ができるようになる。
−いつも自然なトランス状態に入っていた。

ミルトン・エリクソン












1919年(17歳)
−高校を卒業する。

ポリオ(急性外白髄炎・小児麻痺)を患い、全身の麻痺にみまわれる。

全身の麻痺という極めて重篤な障害に陥ったエリクソンは、日々の退屈しのぎとして、家族の行動をつぶさに観察しました。エリクソンは、家族の一員であった赤ちゃんが手足を少しずつ動かし始めた時期に、いろいろなことを身体で習得していくプロセスをモデリングしながら、自分の身体の機能を回復させることに成功しました。この経験から、エリクソンは、非言語コミュニケーション・レベルにおける知覚能力が極めて敏感になり、後の反伝統的なエリクソン催眠(Ericksorian Hypnosis)の創始につながりました。

エリクソンは、自分のまわりの人たちを観察する中で、
言葉のダブルテイク(double takes: ひとつの言葉が二重の解釈を持ちうること)やトリプルテイク(triple take: ひとつの言葉が三重の解釈を持ちうること)、言葉の命令的側面(例えば「窓が開いてますね」が「窓を閉めてください」という命令を含意しうること)などを発見しました。そして、自分自身の体験により幼児の身体的発達プロセスの深い理解を得たり、鋭い観察力を獲得したりしました。相手の首筋から脈拍数を数える事が出来たということなどは驚異的です。またさらに、エリクソンが患った失音楽症は、彼が話し相手の呼吸や抑揚に意識的な注意を向ける事を可能にし、これは後に彼が催眠を独習する時に大きな利点となりました。

1920年(18歳)   
ウィスコンシン大学に進学。
−大学に通いながらピーナッツ缶詰工場で働く。

  

 ウィスコンシン大学



 

1921年(19歳)   
カヌー旅行に行く。


1922年(20歳)大学2年生   
−新聞に論説を投稿し続ける。
−自己催眠を始める。
−同大学教員で心理学者クラーク・ハルと出会い、催眠に対して本格的に興味を持つ。


1923
年(21歳)大学3年生   
−同大学の
医学部に進学し、催眠の研究に打ち込む。
−実験のために100人に催眠を行う。


1925
年(23歳)   
結婚する。
−さまざまな環境の人々を対象にした心理検査を実施する。

※さまざまな環境の人々:ウィスコンシン州の囚人や犯罪を犯した精神障害者、ミルウォーキーの矯正施設の入所者、少年鑑別所の少年、孤児院の子供など。

1928年(26歳)

−ウィスコンシン大学卒業。心理学修士および医学博士を取得し、精神科の医師となる。

−コロラド精神医学病院で精神科のインターン(医学研修生)となる。

−約1200人の子供の病歴を分析し、児童精神医学のリサーチを行う。


1929
年(27歳)   
ロードアイランド州のハウアードにある精神疾患のための州立病院に勤務する。


1930
年(28歳) 
−マサチューセッツ州ウースタ―州立病院に勤務する。
−この4年をかけて「生活史」の徹底的な研究を行う。

−著書『実験的催眠による有害的効果の可能性』を出版。
−催眠に対する暗く恐ろしいイメージを変え、ポジティブで安全な手法であることを示した。

−この病院に勤務している間に、エドワード・サピーアと知り合う。

※サピーアに、エリクソンの話すリズムはアフリカ中部のある部族のリズムと似ていると指摘される。


1934年(32歳)   
ミシガン州エロイーズのウエイン郡総合病院に勤務する。
−精神医学リサーチ部門のディレクターになる。
−離婚をして3人の子どもを引き取る。


1936
年(34歳)   
−エリザベスと再婚する。(2度目の結婚)


1939
年(37歳)   
精神医学リサーチ部門と訓練部門のディレクターになる。

−ウェイン大学精神科の准教授になる。心理学も教える。
−ミシガン大学でも臨床心理学
アブラハム・マズローの紹介でマーガレット・ミードやグレゴリー・ベイトソンから協力を求められる。
−ミードは「バリ島のダンスにおけるトランス状態の研究」について彼の意見を求める。


1940年(38歳)   
38
歳から55歳まで“Disease of the Nervous system”のAssociated Editorを務める。


1941
年(39歳)   
第二次世界大戦中、アメリカ政府の要請を受け「日本人の性格特徴とナチの宣伝効果」について分析する仕事を行う。
戦争の選抜徴兵局で精神科医として働く。

−積極的に催眠の有効性を訴え、各方面に取り入れられる。


1947
年(45歳)   
重篤な血清病を患う。


1948
年(46歳)   
−アリゾナ州フェニックスに引っ越す


1949
年(47歳)   
−アリゾナ州フェニックスのサイプレスで精神科のクリニックを開業する。


1950
年(48歳)   
アルダス・ハクスレーと共同研究を行う。リン・クーパーと時間歪曲に関する共同研究を行う。

−ベイトソン、ヘイリー、ウィークランドから助言を求められる。

−各地から招かれて、セミナー、ワークショップを行う。


1953
年(51歳)   
−17
歳の時に患ったポリオが悪化する身体の麻痺が再発する。

−右手が動かなくなり、左手で書かなければならなくなる。


この頃、.ヘイリーから「エリクソン先生の偉業は、自身の身体障害の経験から得られたものですね」と言われたことに対して、エリクソンは、「障害?・・・財産?人間は、障害を財産にする才能を持っています!」と答えている。


1957
年(55歳)   
アメリカ臨床催眠学会を創設して、初代会長になる。


1958
年(5668歳)
−アメリカ臨床催眠学会の雑誌編集主幹となる。


1967
年(67歳)   
この頃より車椅子中心の生活となる。


1969
年(65歳)   
体調の悪化により、旅行を断念する。


1970
年(68歳)   
フェニックスのヘイワードに引っ越す。


1972
年(70歳)   
アーネスト・ロッシーが弟子入りする。

1973年(71歳)   
ジェフリー・ザイクが弟子入りする。


1974
年(72歳)   
診療から退く。セミナーは続ける。
NLPの創始者のグリンダーとバンドラーがエリクソンを訪問し、モデリングを行う。


ミルトンモデルが誕生した経緯(1)
ミルトンモデルが誕生した経緯(2)

1979
年(77歳)   
ミルトン・H・エリクソン財団が設立される。


1980
年(78歳)   
3
25日他界。

ミルトン・エリクソン









 


NLP創始者ジョン・グリンダー博士認定校
ニューコードNLPスクール
ロゴマーク







記事更新日:2020/06/24

テーマ
記事検索
photo garally
  • ニューコードNLPトレーナートレーニングのご案内
  • ニューコードNLPトレーナートレーニングのご案内
  • ニューコードNLPトレーナートレーニングのご案内
  • 2020年秋・ニューコードNLPトレーナーズトレーニングコースを開催します
  • 2020年秋・ニューコードNLPトレーナーズトレーニングコースを開催します
  • 2020年秋・ニューコードNLPトレーナーズトレーニングコースを開催します
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第10回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第10回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第9回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第9回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第8回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第8回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第7回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第7回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第6回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第6回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第5回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第5回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第4回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第4回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第3回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第3回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第2回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第2回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第1回プログラム
  • ニューコードNLPマスタープラクティショナーコース第1回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPプラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPプラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPプラクティショナーコースの内容
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第10回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第10回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第9回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第9回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第8回プログラム
  • ニューコードNLPプラクティショナーコース第8回プログラム
Twitter
NLP共同創始者 John Grinder 博士認定校《ニューコードNLPスクール》公式Twitter
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
メンバーリスト
TOEIC600点レベルの人の為の
  • ライブドアブログ