New Code NLP School

NLP共同創始者ジョン・グリンダー博士、ニューコードNLP共同開発者カルメン・ボスティック女史が監修するニューコードNLPスクールの公式ブログです。

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ミルトン・エリクソン

ミルトン・エリクソンの催眠プロセス「利用技法」

Milton_Erickson












ミルトン・エリクソンは、次のような言葉を残しています。

「本来、治療に抵抗するクライアントはいません。柔軟性に欠ける治療者がいるだけです」

エリクソンは、クライアントが表現しているものやもともと持っているものは何でも利用するという考えがありました。例えばクライアントが普段の生活で好んでいることや興味をもっているもの、信じているものや特徴的な行動、そして、心理的な抵抗や症状さえもうまく利用して、催眠に誘導したり治療のプロセスに乗せたりしていました。

例えば、不安でじっとしていられないクライアントに対して、エリクソンは、部屋中を歩き回るように指示し、さらに歩き方を細かく指示しているうちに、クライアントはイスに座って静かに催眠状態に入っていったというケースがあります。

このような、クライアントがどんな問題行動を持っていたとしても、クライアント自身の中にそれを解決するためのノウハウが備わっているということを前提とした治療のアプローチを、利用技法(Utilization=ユーティライゼーション)と呼んでいます。

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記事更新日:2020/06/24

ミルトン・エリクソンの催眠プロセス「間接暗示」

Milton_Erickson











ミルトン・エリクソンが治療としてクライアントに行っていた催眠の方法は非常に独創的なもので、従来の催眠の概念を大きく書き換える非常に革新的なものでした。

エリクソンは従来の催眠療法家が行っていたような形式的な誘導は用いず、むしろクライアントと通常の会話をしながらいつの間にか催眠状態に導くという方法を取っていました。

従来の催眠療法家が使っていた直接的な暗示による催眠はクライアントに心理的な抵抗が働いてうまく催眠状態に導けないことがありました。しかしエリクソンは、クライアントに心理的な抵抗が起こらないよう、間接的な暗示(Indirect suggestion)を使った誘導の方法を取りました。具体的なパターンは次のようなものです。

●曖昧な表現
●メタファー
●物語

間接的な暗示は、治療を行う側の意図がクライアントに気づかれにくいため、心理的な抵抗を生じさせることなく、自然な変化を引き起こすことができます。


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記事更新日:2020/08/04

ミルトン・エリクソンの治療プロセス

Milton_Erickson











ミルトン・エリクソンはクライアントを自然なトランス状態に導くために意図的に曖昧な言葉を使いました。

1.クライアントに意図的に曖昧な言葉で語りかける。
   
2.クライアントは無意識に自分の内的経験にあてはまる解釈を始める。
   
3.クライアントはセラピストの言葉に対して自分の内的経験に当てはまる解釈をしながら次第に意識が分散されていき、自然なうちにトランス状態になる。
   
4.トランス状態になると、無意識との交流が深まっていく。
   
5.クライアントは自然に自分の中にあるリソースを見つけはじめる。   

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記事更新日:2020/06/24

ミルトン・エリクソンの総合的戦略

ミルトン・エリクソン






神経学の主要な貢献のひとつで、催眠行動の理解に役立つのは、分離脳患者の研究である。分離脳患者と脳損傷患者との間に見られる右脳と左脳の差異を観察することによって(Gardner)、人間の大脳のふたつの半球は異なる機能に役立っていることが明らかになっている。催眠を行なっているときのエリクソンの行動は、こうした差異を直観的に理解していることを示しているように思う。言語学が提供する豊かなリソースは、人間が言語の複雑な文節をどのように無意識レベルで処理しているかを理解するのに役立っている。

これら二分野の研究によって提起された問題:“What is an unconscious mind?”(無意識とは何か?)は、解決が延び延びになっている。これに対する完璧な解答は未だ出ていないが、エリクソンが “unconscious mind”(無意識)という言葉を使うときには、心理学のフロイト派の基礎が残した同じ言語がいう内容以上のものに言及していると私たちは硬く信じている。エリクソンは意識レベルの下で発生する優位大脳半球の機能に一部言及しつつ、非優位半球の機能にも言及している。彼はたぶん心理処理のこれらふたつの面以上に言及しているのだろうが、彼のこの言葉の使用には必ずこのふたつの機能が含まれている、と私たちは確信しているのである。

トランス誘導を行っているときのエリクソンの総合的戦略には、以下の3つの特徴があるように思う。

(1)ペーシングして、優位(言語)半球の意識をそらす
(2)優位半球を利用し、意識レベルの下で発生する言語処理を行う
(3)非優位半球にアクセスする

(ミルトン・エリクソンの催眠テクニック機慮生譽僖拭璽麒圈p.11-12)


ミルトン・エリクソンの催眠テクニックI: 【言語パターン篇】
ジョン・グリンダー
リチャード・バンドラー
春秋社
2012-04-25


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記事更新日:2020/06/24

ミルトン・エリクソンの生涯

1901年(00歳)1901年12月5日
−アメリカの西部に位置するネバダ州オーラムの銀鉱キャンプ場で誕生。


1905
年(03歳)
−父親が農業を始めるために家族全員でウィスコンシン州に移住する。


1906
年(04歳)   
−この頃から
言葉を話すようになる。

1908
年(06歳)   
−この頃から「m」と「
3」の違いがわかるようになる。
−いつも自然なトランス状態に入っていた。

1910
年(08歳)   
−父親が働く農場で
乳搾りを覚える。 


1917年(15歳)   
−自宅から4〜5マイル離れた高校に歩いて通学する。
−在校生は少なく、エリクソンの同級生は6人で男子学生は2人。


1918
年(16歳)   
−辞書の使い方がわかるようになる。
−英単語 '
government' の発音ができるようになる。
−いつも自然なトランス状態に入っていた。

ミルトン・エリクソン












1919年(17歳)
−高校を卒業する。

ポリオ(急性外白髄炎・小児麻痺)を患い、全身の麻痺にみまわれる。

全身の麻痺という極めて重篤な障害に陥ったエリクソンは、日々の退屈しのぎとして、家族の行動をつぶさに観察しました。エリクソンは、家族の一員であった赤ちゃんが手足を少しずつ動かし始めた時期に、いろいろなことを身体で習得していくプロセスをモデリングしながら、自分の身体の機能を回復させることに成功しました。この経験から、エリクソンは、非言語コミュニケーション・レベルにおける知覚能力が極めて敏感になり、後の反伝統的なエリクソン催眠(Ericksorian Hypnosis)の創始につながりました。

エリクソンは、自分のまわりの人たちを観察する中で、
言葉のダブルテイク(double takes: ひとつの言葉が二重の解釈を持ちうること)やトリプルテイク(triple take: ひとつの言葉が三重の解釈を持ちうること)、言葉の命令的側面(例えば「窓が開いてますね」が「窓を閉めてください」という命令を含意しうること)などを発見しました。そして、自分自身の体験により幼児の身体的発達プロセスの深い理解を得たり、鋭い観察力を獲得したりしました。相手の首筋から脈拍数を数える事が出来たということなどは驚異的です。またさらに、エリクソンが患った失音楽症は、彼が話し相手の呼吸や抑揚に意識的な注意を向ける事を可能にし、これは後に彼が催眠を独習する時に大きな利点となりました。

1920年(18歳)   
ウィスコンシン大学に進学。
−大学に通いながらピーナッツ缶詰工場で働く。

  

 ウィスコンシン大学



 

1921年(19歳)   
カヌー旅行に行く。


1922年(20歳)大学2年生   
−新聞に論説を投稿し続ける。
−自己催眠を始める。
−同大学教員で心理学者クラーク・ハルと出会い、催眠に対して本格的に興味を持つ。


1923
年(21歳)大学3年生   
−同大学の
医学部に進学し、催眠の研究に打ち込む。
−実験のために100人に催眠を行う。


1925
年(23歳)   
結婚する。
−さまざまな環境の人々を対象にした心理検査を実施する。

※さまざまな環境の人々:ウィスコンシン州の囚人や犯罪を犯した精神障害者、ミルウォーキーの矯正施設の入所者、少年鑑別所の少年、孤児院の子供など。

1928年(26歳)

−ウィスコンシン大学卒業。心理学修士および医学博士を取得し、精神科の医師となる。

−コロラド精神医学病院で精神科のインターン(医学研修生)となる。

−約1200人の子供の病歴を分析し、児童精神医学のリサーチを行う。


1929
年(27歳)   
ロードアイランド州のハウアードにある精神疾患のための州立病院に勤務する。


1930
年(28歳) 
−マサチューセッツ州ウースタ―州立病院に勤務する。
−この4年をかけて「生活史」の徹底的な研究を行う。

−著書『実験的催眠による有害的効果の可能性』を出版。
−催眠に対する暗く恐ろしいイメージを変え、ポジティブで安全な手法であることを示した。

−この病院に勤務している間に、エドワード・サピーアと知り合う。

※サピーアに、エリクソンの話すリズムはアフリカ中部のある部族のリズムと似ていると指摘される。


1934年(32歳)   
ミシガン州エロイーズのウエイン郡総合病院に勤務する。
−精神医学リサーチ部門のディレクターになる。
−離婚をして3人の子どもを引き取る。


1936
年(34歳)   
−エリザベスと再婚する。(2度目の結婚)


1939
年(37歳)   
精神医学リサーチ部門と訓練部門のディレクターになる。

−ウェイン大学精神科の准教授になる。心理学も教える。
−ミシガン大学でも臨床心理学
アブラハム・マズローの紹介でマーガレット・ミードやグレゴリー・ベイトソンから協力を求められる。
−ミードは「バリ島のダンスにおけるトランス状態の研究」について彼の意見を求める。


1940年(38歳)   
38
歳から55歳まで“Disease of the Nervous system”のAssociated Editorを務める。


1941
年(39歳)   
第二次世界大戦中、アメリカ政府の要請を受け「日本人の性格特徴とナチの宣伝効果」について分析する仕事を行う。
戦争の選抜徴兵局で精神科医として働く。

−積極的に催眠の有効性を訴え、各方面に取り入れられる。


1947
年(45歳)   
重篤な血清病を患う。


1948
年(46歳)   
−アリゾナ州フェニックスに引っ越す


1949
年(47歳)   
−アリゾナ州フェニックスのサイプレスで精神科のクリニックを開業する。


1950
年(48歳)   
アルダス・ハクスレーと共同研究を行う。リン・クーパーと時間歪曲に関する共同研究を行う。

−ベイトソン、ヘイリー、ウィークランドから助言を求められる。

−各地から招かれて、セミナー、ワークショップを行う。


1953
年(51歳)   
−17
歳の時に患ったポリオが悪化する身体の麻痺が再発する。

−右手が動かなくなり、左手で書かなければならなくなる。


この頃、.ヘイリーから「エリクソン先生の偉業は、自身の身体障害の経験から得られたものですね」と言われたことに対して、エリクソンは、「障害?・・・財産?人間は、障害を財産にする才能を持っています!」と答えている。


1957
年(55歳)   
アメリカ臨床催眠学会を創設して、初代会長になる。


1958
年(5668歳)
−アメリカ臨床催眠学会の雑誌編集主幹となる。


1967
年(67歳)   
この頃より車椅子中心の生活となる。


1969
年(65歳)   
体調の悪化により、旅行を断念する。


1970
年(68歳)   
フェニックスのヘイワードに引っ越す。


1972
年(70歳)   
アーネスト・ロッシーが弟子入りする。

1973年(71歳)   
ジェフリー・ザイクが弟子入りする。


1974
年(72歳)   
診療から退く。セミナーは続ける。
NLPの創始者のグリンダーとバンドラーがエリクソンを訪問し、モデリングを行う。


ミルトンモデルが誕生した経緯(1)
ミルトンモデルが誕生した経緯(2)

1979
年(77歳)   
ミルトン・H・エリクソン財団が設立される。


1980
年(78歳)   
3
25日他界。

ミルトン・エリクソン









 


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記事更新日:2020/06/24

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